今日は、お休みです
今日は、やる気が無くなりました。
ですから、更新はお休みです。
ブログも不思議なことがありますね。
何故なのかな。
では、また。
雑学 「異人さんに連れられて行っちゃた」
今回も「大人の雑学力」から紹介します。
野口雨情 作詞の童謡 「赤い靴」 は実話に基づいた童謡なんです。
でも、実際は逆だったんですね。
「赤い靴」 の女の子は横浜の山下公園に銅像となって立っています。
女の子の名前は「岩崎きみ」、つまり実在の人物だったのです。
歌と違って、実際は船に乗って行っちゃたのではなくて、日本に留まっていたのです。
きみちゃんは明治35年7月15日に静岡県で生まれて間もなく、母親のかよとともに北海道へ渡りました。
母親のかよが、きみちゃんを連れて再婚し開拓農場に入植します。
しかし、あまりにも過酷な生活で、満3才のきみちゃんを、アメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女に出しました。
きみちゃんが6才の時、ヒュエット夫妻はアメリカに帰ることになりますが、ちょうどこの時きみちゃんは当時は不治の病だった結核に罹り、長い船旅には耐えられない体でした。
仕方なくヒュエット夫妻は、きみちゃんを東京の孤児院に預けて帰国しました。
母親のかよは、その事実を知りませんでした。
きみちゃんは、孤児院に預けられた3年後、9才の幼さでこの世を去ってしまいましたが、両親はアメリカで幸せに暮らしているものと思っていました。
かよの再婚相手の義父は、親しかった野口雨情に、きみちゃんのことを話し、雨情は、そのイメージで詩を書いたので事実とは逆の歌が完成したのです。
きみちゃんの銅像の足元には像が立った日から銅像の足元に、誰かが小銭を置いたのを皮切りに、その後も絶えることなく、誰かが小銭を置いていくようになり、このお金は、毎年世界の恵まれない子供達のために全額ユニセフに寄贈されており、総額で1000万円を超えるまでになり、現在も続いております。
ですから、きみちゃんは 「異人さんに連れられて行っちゃた」 のではなく 「異人さんに置いていかれちゃった」 のです。
では、また明日。
大人の雑学 「お姫様向けの夜の指南書」
今回は、「大人の雑学力」という本から面白い話を紹介します。![]()
(以下、原文のまま紹介します。)
江戸時代に、大名や上級旗本に嫁ぐ女性は、たとえ夜の生活であろうと、失敗は許されません。
そんな女性たちの為に「閨の御慎みの事」 (ネヤノオツツシミノコト)という本がありました。
書かれたのは江戸時代の元禄頃。
儒教に基づいた真面目な本ですが、その内容はかなり具体的です。
古文ではなく、判り易いように現代文で紹介します。
先ず、
「色気が無いと情が無くなるので、色気は充分にあるほうが良い。」
とある。 とはいえ、
「あまり乱れた様子を見せると、殿方に愛想をつかされるので、決してみだらになってはいけない。 ちゃんとした女性は淑やかさを第一に。 礼儀正しく、恥らうことで、夫の愛を勝ち取りなさい。」
というのだから、ややこしい。
おまけに、
「閨に入る時は、何年経っても初めてのように恥ずかしそうな態度をしなければならない。」
とか、
「殿方がさまざまにもてあそんでも、ただ、恥ずかしく忍び、どんなに気持ちよくて耐えられなくなっても、取り乱した声を出したり、自分からキスをしてはいけない。」
など、やたら注文が事細かい。
しかも、
「エクスタシーは、殿方が先か、または同時に。 もし殿方が終わったら、自分はまだしたくても、終わりにしなければならない。」
など、かなり難しい注文まで付けている。
さらに、
「昼間、殿方に誘われたら、むげに拒んではいけない。 でも、夜よりもさらに慎み深くし、何があっても打掛を脱いではいけない。」
と、昼間のエッチまで心配してくれているのだから、実に親切である。
とはいえ、その内容はあまりにも男性が主体。
現代女性なら、さぞかし怒ることだろう。
(以上、本に書かれたまま紹介しました。)
決して私が作ったわけではありませんので、お間違いなきようにお願いします。
男性にとっては、よき時代だったのですね。![]()
皆様のコメント楽しみに、お待ちします。 ![]()
戦争の傷跡 「西日本鉄道 旧 筑紫駅待合室」
今回は戦争の傷跡を見てください。
西日本鉄道の電車は福岡市から大牟田市までおよそ100キロ程を結ぶ私鉄電車です。
ちょうど終戦の一週間前の昭和20年8月8日 午前9時25分発の大牟田行き電車が筑紫駅に差し掛かったところ上空に飛来したアメリカ軍戦闘機が停車していた上り列車に機銃掃射を加えました。
そこに差し掛かった下り列車は急停車し乗客を非難させましたが、上り列車の乗客8名と下り列車の乗客56名が命を落とし、100名を越える負傷者を出しました。
当時の待合室は機銃弾の跡を残したまま、地元の有志により保存されています。


機銃弾が当たった傷跡です。
当時の説明が書かれていました。
あと、ほんの一週間後に戦争は終戦となりました。
なくなられた方はほんの僅かの差で残念なことになりました。
ご冥福をお祈りし、平和のありがたさに感謝しなくてはなりません。
石炭産業科学館 と 廃墟
昨日に引き続き三池炭鉱関連施設を投稿します。
三井港倶楽部の近くに石炭産業科学館があります。
三池炭鉱の資料館です。
資料館全景
鉱山内部の展示です、石炭層を掘るカッター。

その他、いろんな展示がありますが先日の田川の資料館と同じですから省略します。
こちらは鉱山内部を走っていた機関車

鉱山の作業員を運んだ人車

三池炭鉱の石炭。 高品質の石炭です。

これは、鉱山の閉山後に新しい産業の目玉として作られた、第三セクター方式のテーマパーク 「ネイブルランド」

僅か3年で閉鎖され、廃墟と化した施設。
1995年7月にオープンしましたが、充分なリサーチをしないまま作った施設ですから、初年度は40万人程度の入場者がありましたものの次第に減少し、1998年12月に僅か3年で60億円の負債を抱えて閉鎖されました。
大牟田市が中心となって、三井鉱山などのグループ企業の出資でしたが、民間企業は撤退し最終的には大牟田市が損失補償を年間2億6千万円程度づつ支払っているそうです。
閉鎖当時、大きな責任問題になりました。
現在、直ぐ前には「イオンモール」の建設工事が行われていました。 これで発展すると良いのですが。

三井鉱山の閉山後、まだ充分に立ち直っていない感じですね。
では、また。



