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ビックリ仰天、異国の地 (その14)

テーマ:地域情報

このシリーズも14回目になりました。 皆様に読んで頂いて嬉しいコメントを頂きますので、なかなか終われなくなりました。 大変ありがとうございます。ペコペコペコペコペコペコ

  

前回に引き続き、日本での研修から帰国までを書きたいと思います。

日本に来た研修生は第1陣が学卒者で各工程の責任者候補生15名です。 第2陣は少し遅れての来日で、交替勤務の作業者の班長候補生20名程度だったと記憶しています。 前回書いたように男女比は半々でしたから、6ヶ月間の研修中にカップルになったのが3組ありました。

その内の一組はタイ帰国後に Goal In しました。ハート2  残りは私の在タイ期間はまだ恋愛中でしたね。 

因みに、学卒者の給料は月額15000~20000バーツ(¥60000 )でした。 当時のタイの平均給料が3000バーツ( ¥9000 )でしたからもの凄い高給取りだったんです。きゃ~!!

 

さて、6ヶ月間の研修期間を終えて帰国する日が近づいて来ました。  研修センターの管理人さんの話では、女性の研修生達は日本との別れが辛くて毎日泣いていたということでした。 彼女達はきっと素晴らしい思い出が次々と思い出されて感無量だったのでしょう。バイバイ 

会社主催で別れのパーティーを開催しました。 女性の代表に挨拶をさせましたが、泣き声で挨拶になりませんでした。 聞いている方も涙がこみ上げてきました。泣き

 

いよいよ、タイへ帰る日が来ました。 私は彼等、彼女等を引率して同行しました。 私は逆に空港で見送りの家族と別れて後ろ髪を引かれながらの出発でした。

 

6ヶ月間の研修中は彼らは真面目でルールを守り、優秀な生徒でした。 しかし、空港に来た頃から久し振りに帰国できる喜びで、大騒ぎでした。 元来楽しい事が最優先の国民性ですから、ご想像にお任せします。

 こういう事を予想して、台北、香港経由では何が起きるか判りませんので、福岡から成田へ飛んで成田発バンコク行き直行便を選択しました。  ですからこの選択が正解だったことを痛感しました。

成田から6時間の飛行の後、ついにバンコク国際空港に到着しました。 出迎えの家族の顔もありました。 こうなると、指示なんて聞くものは一人も居ません。 三々五々バラバラに散ってしまいました。

その日の日本本社へ書いたレポートに私は次のように書き込みました。

  「彼らは野生に戻りました!」

  このレポートは本社で大変有名になったそうです。

 

     

では、また次回を、どうぞ宜しゅう(o^▽^)o)ペコッ

ビックリ仰天、異国の地 (その13)

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久し振りにタイの話を書きます。 今回はタイに工場を建設して稼動させる準備段階のお話です。  今日はその人のお話です。

そもそも、外国に工場を作る目的は日本よりも安い原価で物を作る事です。

従って、働く従業員も現地の人である必要があります。

そこで、私達はタイ工場で中核となって現地の人に指示をするリーダーを育てることから始まりました。

日本の工場で研修を受けてもらい、技術を学んで帰国してタイ工場でリーダーになってもらう為です。

研修期間は6ヶ月間です。 正確には忘れましたが、15名程度だったと思います。  タイで募集したところ、日本でいう東大卒クラスの優秀な学卒者ばかりでした。きゃ~!!

6ヶ月間食事も日本食ばかりではいけないだろうと、タイから料理人も来日してもらいました。

 

外国では日本のように終身雇用の考えはありません。 条件の良い企業があれば、さっさと転職します。ハテナ?

まして、日本企業で働いていたといえば、現地の日本企業には直ぐに入社できます。

 今回の研修生も直ぐに転職されてはたまりませんので、3年間は勤務するという条件で来日費用や滞在費用を負担しました。

 

研修は製造ラインの各工程ごとに2名づつ配置し、日本の工程責任者が指導して技術を学ぶというシステムです。

当初は、私たちもタイ語は判りませんし、英語も得意ではありません。

従って、片言の英語と覚え始めのタイ語と日本語のチャンポン語で教育しました。  傍で見ているとさぞ可笑しい光景だったと思います。わ~い

彼らは憧れの日本企業での研修ですから、熱心に勉強しました。

 

彼らは会社の研修センターの宿泊施設に寝泊りし、食事も会社負担ですから金銭は必要ありません。  でも、小遣いが必要だろうと1日当たり¥2000を毎月支払いました。 半年も居れば結構な金額になりますので、帰国時には高級一眼レフカメラなどを買っていました。

 

半年の期間中に何回か会社主催で宴会を行ったりして歓迎したものです。

日曜日には各工程の責任者が自費で阿蘇山などへ連れて行ったこともありました。

私のように外を出歩くのが好きな工程の責任者に付いた研修生は幸せですが、外出しない所は可哀想なので、出来る限り順番に連れて行きました。  乗用車は5人乗ると窮屈なので運転者共で4名にて計画しますと、タイでは窮屈に乗り合わせることに慣れているから5名で行きたいと言います。 仕方なくそうしていました。

タイの習慣では、何処かへ出掛けた時にはそのグループの中で一番お金持ちが支払うという事だそうで、当然日本人が支払うことになりました。泣き

ですから半年の間に阿蘇山には何回行ったか判りません。

 

リーダークラスの研修が3ヶ月程過ぎた頃、作業をする現場ワーカーを同じように来日させて研修しました。 この頃からはリーダー達に作業の指導をさせる訳です。 作業員クラスになると英語の不得手な人が多いからです。

いずれの時も男女半々の比率でした。

ですから、半年の間に仲良くなるカップルが出来ていたこともありました。

では、そろそろ次回ということで、、、バイバイ

 

戦争の遺跡(その4)

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昨日に引き続き鶴御崎の戦争遺跡を投稿します。 ここは、九州最東端で燈台が建っています。

鶴御崎燈台

 

  燈台建屋の下には釣り人が流して放置した「うき」が展示されています。 

     うき

 

海を見ると遠く四国の島影が見えます。景色

 

 

この白亜の燈台は、実は戦争の遺跡の上に建っているのです。  これは、海峡を望む望楼跡に建てられました。  この写真がその建屋です。燈台建屋3

 

      燈台がこの施設跡の上にあるのがお判りでしょうか。

          燈台2

 

灯台の下に「丹賀砲台」爆発の後に急遽作られた砲台があります。  でも、現在は「危険、 立入禁止」の柵が設けられています。砲台跡1

 

しかし、ここまで来て引き返す訳にはいきません。 柵の横を抜けて見物に行きました。 200m程歩くと砲台跡がありました。 「危険」の立札があります。砲台跡

 

次に進むと「第一砲台」跡があります。 150mm砲 4門があったそうです。戦争末期に近くなり、随分荒い工事で作られています。砲台跡2

 

訪れる人もなく、こうして立入禁止のまま朽ちて行くのかもしれません。

 

説明看板

 

今は、忘れられようとしている戦争の遺跡ですが実際にあった出来事として後世に伝える為に残さねばならないのではないでしょうか。

戦争の遺産(その3)

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戦争の遺産を何度か投稿しました。

今回も戦争の遺産です。

九州で一番速く夜が明ける場所、即ち九州最東端の大分県佐伯市の「鶴御崎」です。 豊予海峡に面している場所です。  ここにも戦争の遺跡があります。 

私達が生まれる前の大正10年(1921)に締結されたワシントン条約で、戦艦の保有比率を 米5、英5、日3 という日本に不利な条件の条約が締結されました。 それで日本は戦艦や巡洋艦の余分になった物を廃棄することになりました。 

その戦艦などの大砲をこのような海峡に設置する事になったのです。

そして出来たのがこの九州最東端の砲台でした。

しかし、そこには悲劇が待っていました。  試験発砲の時に7発発射しただけで、砲身の中で砲弾が爆発し砲台毎全てが吹き飛んでしまいました。

砲台に居た16名が死亡。 28名が重症だったとのことです。

 

これは、大砲が座っていた砲台内部です。 現在は螺旋階段で見物できるようになっています。 しかし、誰も来ている人はありませんでした。

   砲台内部

この図は砲台の構造略図です。砲台図

 

  砲塔内部の回廊で、砲弾などの貯蔵場所だったそうです。

     砲台内部回廊

 

           砲台内部

 

この斜坑は下の弾薬庫から砲台へ砲弾を上げるリフトです。  現在は砲弾でなく、見学の人を上げるリフトになっています。斜坑

 

弾薬庫の入口と前の海で見つかった飛行機のプロペラです弾薬庫

 

   戦死者の慰霊塔

   慰霊塔2

 

この地域で戦争の被害で亡くなった方の慰霊塔です。慰霊塔

ここ、九州と四国の間の海峡も敵艦に対しての砲台がいくつもあったようです。  この岬には燈台がありますが、その燈台もこのような砲台跡に建ってます。 次回はそれを投稿します。

今回も自分と同じ顔のあるお寺

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以前、大分県の耶馬溪にトンネルを掘ったお坊さんの話を書いた事を覚えて頂いているでしょうか。

今回は、そこから少し山手に入った所にある山寺の 曹洞宗 「羅漢寺」 を紹介します。

     羅漢寺入口

 

このお寺は山の中腹にある為に険しい山道を登ります。 20分登ると入口の楼門に到着します。羅漢字楼門

 

しゃもじが沢山ある中に「五百羅漢」があります。五百羅漢前

 

正確に数えてはいませんが、500以上あるようです。 和尚さんに「500以上ありますね。」と言ったら、だまって笑ってありました。わ~い五百羅漢1

五百羅漢2

 

この仏様の中に自分と同じ顔があるそうです。ハテナ?五百羅漢3

「五百羅漢」というのはお釈迦様の弟子達だそうです。 ですから、自分も弟子だからその中に同じ顔があるということなんですね。

 

    本堂です。

    本堂

 

            山道の参道。 雨でも降ると危険です。

            羅漢寺参道

 

    足の弱い人の為にリフトが設置されています。

    羅漢寺リフト

                  リフト利用券

 

 

ここは、参拝するのも大変な山寺です。 リフトの無かった時代は、さぞ大変だったと思います。ハテナ?  

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プロフィール

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筑紫次郎

ドライブ旅行、登山、カメラ、飛行機が趣味の、じっと家に居ることの無い九州男児です。
北アルプス登山で見た風景の感動は忘れません。

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男性

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