返せ北方領土!

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国民の意思結集がなによりも大事

 我々、日本人はいつからこんなにも、オドオドと相手の顔色ばかり伺う民族になったのか。特にそれは外交、国際問題で顕著である。理不尽にも侵食されたままの国土は、北方4島をはじめ、島根県沖の竹島。南の尖閣諸島や東シナ海ガス田に至っては、隣国の出方を慮るばかりで、じわじわと相手側の思う壺の様相を見せている。
 終戦間近の昭和20年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って突如参戦。日本が降伏してから3日後の8月18日、シュムシュ島への攻撃を開始し、次々と千島の島々に上陸、結果、不当にも北方4島は、戦利品を欲しがるスターリンによって占領、蹂躙されたままである。

 北方領土は根室市、納沙布岬沖に浮かぶ歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の4島からなる。北方4島を合わせた面積は5036.14平方キロメートルで、千葉県とほぼ同じ広さ。
 うち、国後島は、面積が1498.83平方キロメートル、長さは122キロメートル。根室半島と知床半島の間に挟まれるように浮かぶ島。終戦までは泊村と留夜別村の2つの村があり、北方4島では最も多くの日本人(1327世帯・7364人)が住んでいた。現在は、約6700人のロシア人が住んでいる。
 択捉島。この島の面積は3184.04平方キロメートル、長さは204キロメートル。北海道、四国、九州を除き日本で一番大きな島。沖縄本島の約2.6倍、鳥取県とほぼ同じの大きさ。終戦までは、留別村、紗那村、蘂取村の3つの村があり、739世帯、3608人が住んでいた。現在は約7000人のロシア人が住む。
 結局、終戦までは17291人の日本人が住んでいたこれらの島が、今や完全にロシアの領土内に納められているのだ。不当に占拠し、既成事実を積み上げて、既得権を主張する、それが彼らの常套手段なのである。
 日本人は領土に対しても、実に恬淡として欲がない。領土意識、国防意識の欠如は、敗戦後の占領政策によって完全に植えつけられた。
 祖国防衛と言うだけで右翼と決め付ける極端さが、今の日本を作り上げている。普通の感覚を身に付ける事が、求められている。

北方領土の日

 北方領土の返還を求めている人達から、返還運動を盛り上げるため、「北方領土の日」を設けたいと言う要望が高まり、1981年(昭和56年)、政府は閣議で2月7日を「北方領土の日」にすることを決定した。この日は、1855年(安政元年)伊豆の下田で「日露通好条約」が結ばれた歴史的な意義を持つ日。毎年、この日には「さっぽろ雪まつり」大通り会場で「北方領土フェスティバル」が開催され、全国各地においても大会やパネル展、キャラバン活動などが行われている。

梅農家の今後を聞く

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観梅シーズン
梅農家の今後を聞く
田辺市上芳養 武森久寿さん
JA紀南上芳養梅部会長


 紀南地方にとって「梅」は、地域経済の活性化に欠かせない重要な農作物。観梅の季節を迎えるにあたり、田辺市上芳養で梅農家として頑張る、武森久寿さんを訪ねた。

 武森さんは46歳。
 若いおりに農協万呂加工場に勤務、その後農家を継ぎ、現在、JA紀南芳養谷選果場運営委員会委員長。上芳養梅部会長の役職を担う若手の旗手だ。
 ともかく農業一筋、紀州田辺梅林のある石神地区はじめ、上芳養地域の梅農家の現状を熟知した方。梅を中心とした農業の展望をうかがった。

情勢に対応し努力の継続


 田辺・みなべ地域に住む私たちは、直接・間接的だが「梅」に何らかの恩恵を受けています。観光としての「観梅」、産物としての「梅の実」、加工品としての「梅干し」。梅産業で得られた収益が、地域経済を支えてきたことは言うまでもないと思いますが、不況下の影響もあり、高品質種を使った贈答用が若干伸び悩んでいると聞きます。
 また、梅ジュースや梅酒など青梅を使うものでも、梅の実の価格競争面で難があります。今後、海外に住む日本人向けの輸出など、直接販路を伸ばす事に力を入れて行くべきと、農協内では議論されています。
 また作物は自然環境との折り合いが大切なだけに、気象の変化などに対応する研究も行われています。パイロット農場での梅の立ち枯れや、後継者育成など、不安材料がないわけではありませんが、うめ21研究センターなど、新たな梅関連製品に結び付けていく研究も継続されています。こうした努力を続ければ、新たな展開があると考えます。
 農家としては今後、梅だけでなく、みかん・シソ・エンドウ豆など複数の作物を合わせた産地形成が必要ではないかと思っています。
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 “地域の基幹産業である「梅」。ハードルはあるが、乗り越える努力が明るい将来をもたらす”と言うお話に、一つの方向性を見た。

知恵をしぼり地域挙げて

 梅やみかん(橘)は、奈良飛鳥の時代に中国からもたらされ、その実は永らく皇族・貴族たちの滋養強壮・殺菌薬として食されてきたが、江戸時代、徳川の世になり有力大名家や御三家・松平家の領地に普及した。そんな歴史ある産物を、今後も地域資源として守り育てて行く事が大切。まずは観梅。地域挙げて梅産業を盛り上げよう!武森久寿さん
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