後ほど考えます。
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原発考

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私達にとって原子力発電って一体何だったのでしょう。

戦後の発展を支え続けてきた動力源であったことは間違いないのですが、制度の腐敗と堕落を産む原動力であったとも言えるかも知れません。

電気を作れる能力が、それだけの力を保持していたのですね。

嘗て電力は水力と火力でした。

核エネルギーが発見されて、マンハッタン計画により爆弾として開発され、戦後日本の核エネルギーの開発としては、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効するまで、核研究そのものが禁止されていました。

その後1954年中曽根康弘氏らにより原子力研究開発予算が国会に提出され、戦後日本の核開発が始まるのです。

1955年(昭和30年)12月19日に原子力基本法が成立、1956年(昭和31年)1月1日に原子力委員会が設置されました。

初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎氏で、彼は翌1957年(昭和32年)4月29日に原子力平和懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入の大きな原動力となりました。

この時の原子力委員であった日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士は、抗議のため委員を辞任しています。



丁度この頃、水力発電の雄である黒部ダムが建設され始めます。

昭和31年に始まったダム建設には当時の金額で513億の巨費が投じられ、延べ1000万人もの人手により、実に7年の歳月を経て完成しました。

その黒部ダムの出力が、最大335000kWです。

あの石原裕次郎の「黒部の太陽」でダム建設の苦しさは理解出来ると思います。



1957年(昭和32年)11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立されます。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが最初の原子力による発電を行いました。

これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっています。

日本で初めて稼働した商用原子力発電所は、同じく東海村に建設された東海発電所で、その運営主体は日本原子力発電株式会社です。

原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉でした。

しかしこの形式は経済性等の問題により、これ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉となりました。

1974年(昭和49年)には電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)が成立し、原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組みができ上がりました。

この蜜に多くの利権を得たい人達が集まった事が、今日の日本国民の不幸を呼んでいると言えます。

次項後日。
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原発がある限り、安心できない

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 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。
でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。
もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。
しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。
出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。
だったら、事故さえ起こさなければいいのか。
平和利用なのかと。
そうじゃないでしょう。
私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。
それに、安全なことと安心だということは違うんです。
原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。
それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。
だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。
朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。
果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。
これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。
そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。



優しい地球 残そう子どもたちに




原子炉を使って発電している今のシステムを、廃棄しようと思ったら、作ったエネルギー以上のエネルギーと経済的負担が要ることは否定出来ないし、その可能性は非常に大きい。

それは管理の為の時間軸を考えれば容易に想像が付くことだ。

歩掛かりはとんでもない数字になってしまう。

作業員賃金だけで、出来上がった電気代なんか簡単に突破してしまうだろう。

それを考えたら、今の人類の快楽は、子々孫々までにその負担を強いることで換えることが出来るのか。

それは今の我々が、考えなければならない問題だ。

仮に今何の対策も立てられないとすれば、後世に残す負担は、今生きている我々現代人の横暴だと、後世から非難されても仕方ないだろう。

その時はしかし現代は既に歴史になってしまっているかも知れない。

遠い先祖を恨みつつ、力尽きて死んでいく何世代か後の人類を、今我々は想像することさえ出来ない。

既に作ってしまった原発と核廃棄物をどうするか。

瞬発のエネルギーで不安定な状態を安定化する方法を早急に見つけることこそ、原子炉を作ってしまった現代人の仕事ではないかと思うのだが、如何なものであろうか。
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私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

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 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。
どこへ行っても、必ずこのお話はしています。
あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。
その中には中学生や高校生もいました。
原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題ゴルフ場問題原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。
でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。
そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。


こういう情報を子供達が自分達の間での情報として持っているということは、周囲が把握していなければならないことだ。

正しい情報を子供達に伝えないと、我が国教育界は再び性教育の轍を踏むことになる。

何が正しく何が間違っているか。

何をどうすれば間違いを引き起こさないか。

どうすれば間違いのない人生を送れるのか。

正しい情報が与えられていれば、正しい判断の方法が教育されていれば、正しい環境の把握の仕方が身に付いていれば、間違いは起こらない筈ではないか。

今頃になって運動ふりをするという子供の言葉は深い。

反対運動をするふりだけして、正しい情報を正しく次の世代に伝えようともしないのだ。

それは次の世代から強く非難されても仕方ないだろう。

深い反省を込めて、次の世代に正しい情報を伝えることを政府・教育関係者に望みたい。
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住民の被曝と恐ろしい差別

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 日本の原発は今までは放射能一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。
出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。
便箋に涙の跡がにじんでいました。
東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。
この娘さんに何の罪がありますか。
こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。
皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか
若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。
 こういう差別の話は、言えば差別になる。
でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。
原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。


日本の原発が一切放射能を出して居ないかと言われれば、出して居ると答えざるを得ないでしょう。

しかし排気塔から放射能を出しているかと問われれば、私は出していないのではないかと思っています。

「出ている」と「出している」では意味が全然違います。

「出している」というのは「故意」です。

その「意志」を持っていなければ、「出している」とは言いません。

「出している」ならこれは犯罪です。

「出ている」ことは偶然ある可能性はありますが、「出している」となるととんでもない話です。

これは恐らくこの筆者のこの後の話を盛り上げる為の一つの誇張ではないかと私は考えています。

手紙全文を赤で記しておきました。

これはもしかしたら事実であるかも知れません。

確かに新しい差別の形態であると私も思います。

放射能に近いというだけで、そのこと自体が障碍であるような判断をされる訳ですから。

しかしこういう問題は科学的に検証されなければなりません。

その上で、害があるならどうすればその害を無くすことが出来るのか、対策を考えなければなりません。

風聞を土台にした新たな差別を作ることは絶対に許されないのです。

恐らく白血病の罹患率や死亡率など詳しく調査されている筈です。

それらが正式に発表されていてそのデータを元に話が進められているのなら、正しく理解されていると言えますが、そうでなくただ単に個人の嫌悪感やいい加減な風聞だけで判断されているとしたら、これは国の責任に於いて正しい情報を発信しないといけません。

我々国民はその情報を得た上で正しく判断できるようにしないと、これは今後国が作る差別ということになります。

実は私自身、色々調べてみましたが、まだ正確な情報を掴むところまでいけていません。

これは国の怠慢ではないかと考えています。

誰でも簡単に正しい情報に触れられるようにしておかないと、下手をすると出鱈目な情報が大手を振って巷を渡り歩くことになるかも知れません。

この点は国にしっかり質したいところです。

話は、本文から外れましたが、表現に一寸疑問点が生じたので、この項についてはこれ以上コメントすることは控えたいと思います。
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どうしようもない放射性廃棄物

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 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ毎日、出ています。
低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。
そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。
その頃はそれが当たり前だったのです。
私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。
海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。
全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか
どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。
日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。
去年(一九九五年)フランスから、二八本高レベル廃棄物として返ってきました。
これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。
この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。
余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。
みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。
生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。
とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。
早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。
それには一日も早く、原発を止めるしかないんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。
この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。




核のゴミ 毎日 低レベル放射性廃棄物 五時間 致死量の被曝 約八〇万本以上 一九六九年まで 近くの海 当たり前 東海原発 千葉の沖 ドラム缶 腐ってしまう 放射性のゴミ 魚 

原発で発生するゴミは、作業用手袋に始まり作業着、靴、マスク等、作業員が身につけるもの一式、加えて体の洗浄水等を一回の作業が終わればゴミとしてドラム缶に入れて処分すると聞いたことがある。

放射能が付着する恐れのある原子炉周辺での作業中は、作業員の数の分だけ毎日そのゴミが発生する訳だ。

当然工具や測定器具などもその対象になるのだろうから、その量は計り知れない。

365日、毎日放射能が有る場所で作業する訳ではないだろうから、定期検査等特別の時だけなのだろうが、それでもその量は膨大になるのでは無かろうか。

ただ、この話は聞いた話なので確認を取っている訳ではない。

この文章中では毎日発生すると書かれているから、その作業内容は放射能が付着する危険のある場所でのものだと言うことだろう。

その放射能を含むゴミを1969年まで近くの海に捨てていて、それが当たり前のことだったと言うことです。

今頃はドラム缶は腐って、中の放射能は当然海中に解放されている筈です。

日本の最初の原発は1950年に稼働しているからゴミの量も半端ではない。

それが日本近海にばらまかれてしまった状態なのだ。

沿岸漁業の漁獲量がこの60年で一体どれだけあったのか。

天に唾したその罪が魚や海藻等海産物を通じて、我が国国民の体で償われたということになるのだろうか。

話が此処まで来るともう空しさしか残らないではないか。

現在 六ケ所村 三百万本 三百年間管理 三百年ももつドラム缶 廃棄物業者 続くのかどうか

海に捨てる罪の深さを見直したとしても、ゴミの行く場所が定められた訳ではない。

行くところは相変わらず決まらないのだ。

青森県六ケ所村に現在300万本の放射性廃棄物が保管されているというのだが、ドラム缶が一本200㍑とすれば5本で1m3になるから、60万m3以上の容積が放射性廃棄物で占められていると言うことになる。
1haの土地を考えると、その土地にびっしりドラム缶をおいたとしてもドラム缶だけで、高さが60mになるのだ。

60mと言えば、15階建てのビル位の高さである。

今ではもっと増えていることだろう。

これを廃炉する原発敷地の地下に埋めると言っても、一体どれだけの資金が要るだろう。

1haの用地の地下に、最低でも20階建てのビルが入るだけの穴を掘らなければならないのだ。

ダンプで土を運び出すと言っても、ダンプ15万台以上の量になる。

土は掘削して運搬し、掘った穴は雨水が入らないように仕舞をした上、ドラム缶が腐敗しないように手当をし、積み上げたドラム缶が地震などの災害で崩れないように固定しなければならないのだ。

そしてこの現場を300年管理し続けるというのだ。

殆ど不可能に近い作業と言わねばならないだろう。

高レベル廃棄物 使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物 イギリスとフランス 再処理 二八本 高レベル廃棄物 容器の側に二分間 死んでしまう 冷やし続け 地中深く埋める予定 原発自体 密閉管理 粉々にくだいて 原発の敷地内に埋める 原発を止めるしかない 三百年監視 私たちはいやだ 終わりのない永遠の五〇年

驚くべきはこの高レベル放射性廃棄物だろう。

再処理後の高レベル廃棄物がドラム缶28本分あるという。

容器の傍に、二分間居るだけで死んでしまう程の放射線量があると言うから半端ではない。

温度が上がり続けるから冷やし続けなければならない。

冷やして温度が落ち着いたら、地中深く埋めるつもりだと書いてあるが本当にその予定なのだろうか。

プルサーマルはゴミが燃料になるとしか聞かされてなかったが、こういう事実があるならあの言葉は嘘ではないか。

綺麗事ばかり並べていたあの時代、もしかして原子力技術者も荷担していたとしたら、看過できる話ではない。

当時の原子力技術者なら放射線や放射能、燃料棒や再処理のゴミ、処分できない現実は把握できていた筈だ。

とんでもない話ではないか。

次の世代も、その次の世代も、次の次、その又次、どこまで行っても人間はこの高レベル放射性廃棄物と付き合っていかなければならないのだ。

今の人間が優雅な生活をする為に、子々孫々に至るまでの人間に迷惑を掛けるのだ。

一体当時の技術者は何を考えていたのか。

この出鱈目な行為は万死に値する。
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これで3度目になってしまいました。
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最初のが辛口新聞批評でしたから、二つ目は科学的なニュースを取り扱うことにしましょうか。
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