大蛇伝説

テーマ:伝説
 白い石礫を持ち、岩肌や原生林に囲まれた和田川、人為的なものはほとんど無く、深い淵までもが透き通る秘境中の秘境である。

 何者も立ち入らせない威厳を誇る和田川には、「いわれ」や「伝承」が多い!

和田川 和田川2

 今回はチャドロとクレドメ!

 壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族、生き残った者もチリジリバラバラと奥深い山里へと落ちていく。

 そんな中、小口の上流域である大原にたどり着き、山を開墾して生活をする鍛冶屋三郎という一人の武士。

 傍らの和田川には幾つかの淵があり その一つの淵に棲む大蛇が川を下る筏を待ち伏せては筏夫を呑み込んでいた!
 筏は里人のもっとも大事な仕事で、人々は生活に困っていた。

 これを知った鍛冶屋三郎、「人に危害を与えるとは憎いやつ」と大蛇退治を決意、一振りの刀を差して筏で川を下る。

 しばらくして筏が魔の淵にさしかかると、天地鳴動、晴れわたっていた空がにわかに曇り、血なまぐさい風が吹き、水面は大波が沸き立った。

 と、突然大蛇が現われ、鎌首を立てて真っ赤な舌を出し、飛びかかってきた。

 驚きながらも腰の刀に手をかけた三郎、目にも止まらぬ速さで首をはらうと大蛇は水中に没した。

 仕留めたと思ったのも束の間、再び大波が沸き立つと、落とされた首の切り口が頭になって再び三郎に襲い掛かってきた。

 こうして三郎と大蛇の死闘が続いたが、ついに大蛇は七つの死体となって淵に浮かんだのであった!

 二度と出る事がなくなり里人達は安心、三郎に感謝の意を込めてこの淵を鍛治三郎、そして次の淵は大蛇の血でいっぱいになったので「チャドロ」、又大蛇の死体が流れてかかった瀬を「クレドメ」と呼んだという。

かいもんさん

テーマ:伝説
 熊野川町の赤木から下流の神丸まで、道路と平行してづ~っと続く水路、この水路 実は400年ほど前に作られたものと言われる。

水路

 そんな昔にな~~ぜ?

 とてつもない事をしでかしたのは「太地嘉右衛門さん」、このお方なんと何と!

 神丸地域に新田を作るために4Kmも先の赤木川から水を引き込もうとしたらしい。

 いざ掘削をはじめたものの、それはそれは大変な苦労の連続!

 そんな様子を見ていた一人の男が、「アホやだ~  アホ~っ」と叫ぶが、そこは冷静な嘉右衛門さん、「○○な男」の言う事だから・・・・・・と、気にもとめずに掘り進めた。

 ようやく赤木まで掘った時には、計画とは大きく異なり川の上の方にたどり着いてしまった。

 完全に設計ミスだったんですね~!

 初めからあの「○○な男」の言葉を信じていたら・・・・・と、後悔しきり!
 思い直して、今度は赤木側から掘りはじめ、見事水路を貫通させたと言います。

 こうして神丸の荒地を耕し新田を作り、水路まで引き込んだ嘉右衛門さん!
 地域の方々は、そんな嘉右衛門さんに親しみを込めて「かいもんさん かいもんさん」と呼び、何時までも感謝の心をささげている。
 今でも2月9日には祭りをして賑わい、水路の掃除や補修なども行っている。

墓 墓2

 この「かいもんさん」、説明板によると秀吉の紀州進攻に反抗して破れ、この地に隠れ住んだとか?
 「かん丸の荒地を相渡し候、精入れ作業に起こし下さるべく候」「年貢は三ヵ年農業に精を出し、それ以降は見立てながら年貢を納める事」そして、「慣れるまでは、棟役人足役は十年間免除する。」などと書かれた古文書もあるという。

 えぇ~~と言うことは 元々は武士??

心のよりどころ!

テーマ:伝説
 熊野川町には沢山の祠があります。
 う~~ん、頭に浮かぶものだけでも・・・・・山の神やムラカミさん、カイモンサン、金毘羅さん、秋葉さん、八幡さん、祇園さん、稲荷さん、不動さん、庚申さんなどなど。

 信仰心が厚い土地柄なのでしょうか?

 中でも、室町時代以降に広まったといわれる庚申さんは熊野川町各地にあります。

椋の井の庚申さん 相須の庚申さん

木札 小口の庚申さん

 人間の身体にいる三尸(さんし)の虫が体内から抜け出し、天に昇って天帝にその人の悪口を言い、それを聞いた天帝はその人の寿命を決めてしまうという、げに恐ろしい言い伝え。

 わぉ~~、勝手に寿命を決めやんといて~!(笑)

 そんな、イワレから庚申の日には虫が天帝に報告できないよう、寝ないで語り明かすと言います。

 熊野川町内の庚申さんも、イワレと言うか?しきたりと言うか?ご利益と言うか?何というか?
 それぞれ微妙に違いがあるようですが、共通しているのは失い物をすると、庚申さんを「縄で縛って」お願いする。
 そうすると、不思議に物が出てくると言います。

 「ホンマかいな~?」と思いますが・・・・「ホンマなんや!」と言います。ww

 小生、とてもシンジラレナ~イ?が、そんな時には酒などを持ってお礼参りをするとか?

 いつもただ酒をのめる庚申さんをチョットうらやみながら、昨日の通勤途上、写真に収めてきました。

うなぎ漁

テーマ:伝説
 熊野地方の「うなぎ漁」として、石を塚のように積み上げ「うなぎ」が石の間に潜り込んだのを捕まえると言う、熊野だけの伝統的な漁法がありますが、現在の小口川ではミミズを餌に「うなぎモドリ」や「つけ針」で獲るのが主流になっています。
 しかし、最近は面白いことに、蟹獲り用の籠に入った小魚を狙って「うなぎ」が入ることもあるとか?(小生の籠には入ったことはありませんが・・・)

うなぎ

 そう言えば、近所のおばちゃんたちが橋の上から「ポン」と籠を投げて入れ、蟹ではなく「うなぎ」の捕獲にチャレンジしている姿を良く見かけます。
 まぁ、口で言うほど簡単ではありませんが、やっぱりうなぎも天然ものの人気は絶大ですなぁ~。

 小口に通って2年半、いまだ天然ものは口に入らず、と・っ・て・も 悔しい思いをしていますが、そろそろズガニにも飽きがきたし、恥ずかしながら「うなぎ獲りにでも挑戦してみようかな~」などとつまらないことを考えています。

 ところが、こんな美味しいうなぎでも「食べない」所があるようですね~。
 ある地域では、昔うなぎの大群が土手の決壊を防いでくれたので、以降そのうなぎを「神」として称え、「うなぎを食べない」風習があるとか?

 うなぎ大好き人間の小生から見れば、何とも勿体ない話ですが・・・・(笑)

 ところで、この小口にも「うなぎ伝説」があります。

うなぎ島 うなぎ島2

 小口から少し下流に赤木川があり、そこに「うなぎ島」という大きな岩があります。
 昔はその周囲は深い渕だったようで、大きなうなぎが棲み道行く人をよくだましていたといいます。
 人々は困り果てていましたが、ある日お坊さんが通りがかり、人助けのためにとお経を読んだところ、川の底から大きなうなぎが浮かび上がって、岩を七巻き半まいて狂い死にしたようです。
 このお坊さん、法力によってうなぎを退治したんですね~。
 それから、この岩を、「うなぎ島」と呼ぶようになったようです。

 怖いですね~皆さん!

 まさか真実とは思えませんが・・・・。
 このうなぎを蒲焼にすれば何人前ほどに・・・・・いやいや イカンイカン!

伝説「アマ石」

テーマ:伝説
 国道168号線から、小口方面に入り日足を過ぎると熊野川町相須、ここに高倉神社跡がある。

宮の元 宮の元2

 御神体は、近くの日足地区に移転しているが、住民の方々は「宮の元」(お宮さんが元あったところの意)といい、今でも11月3日には神事や餅ほりをして大変賑わっています。

 それほどまでに大事にしている訳は何なんでしょうね~。

 この「宮の元」の前には大きな石がありますが、この石は「アマ石」と呼ばれ、今に伝説が残っています。

 昔々、神丸地区で田を耕作するために水路を作ろうとしましたが、上流の赤木地区から引く長い長が~い水路は山を削ったり石垣を積み上げたりして作らなければなりません。
 中でも川と崖のこの場所が一番の難所で、何度も川岸に石垣を積みましたが、水を通すと壊れてしまい村人たちが困り果てていました。
 そんな中、人柱を立ててみては?と言う古老の言葉に、村人たちは村中を探し回り、やっと見つけた娘に人柱になって貰った。
 そうして石を積んでみると誠に堅固な石垣が出来たと言う。

 村人たちはその娘に感謝し、この淵の大きな石に「アマ石」と名付け霊を慰めた、また川を下る舟もこの石には絶対に棹は突かず、一礼して下って行ったという。

アマ石 アマ石2

 この淵は、50年程前には材木や筏が置かれた「網場」で、子供たちの遊び場の一つ、沢山の筏が並べられ、その上を歩いて向こう岸まで行ったり、淵に石を投げ込んで遊んだという。

 「昔の事やけど、赤木川で一番深い淵はどこやろ、と言う事になっての~、その時に計ったら、ここは11mもあってドン深かったわ~!」

 「ムチャクチャ綺麗やったけど11mもあると、さすがに川底が見えん!」
 「白い石をほってみるとの~、途中からフゥ~と消えるんやだよ~、それほど深かったんやだ~!」
 「今は面影も無いけどの!」と語るYさん。

 そんな思い出とも相まって今の信仰に繋がっているのかも?


人柱(ひとばしら)=提や橋などの構築物が水害などによって壊されないよう神に祈る為に、生きながら建築物やその近傍に埋められた人をいう。

唐人ばあさん

テーマ:伝説
 熊野川町田長の国道168号線沿いに「唐人ばあさん(とうじん)」の墓石というものがあります。

168号沿い

 地元では「デキモノの神様」と言われ、ここに参れば「ばあさん」がデキモノを治してくれるという。

 昔、らい病にかかった姫がどこからかこの地に流れつき、現在、管理をしているTさんの先祖が何くれとなく世話をしたので此処に住みついた。

 その姫もやがて老婆になりこの世を去ることに・・・・・。

 埋葬された後も長い間お世話(現在も)をしてきたTさん、そんな恩に報いるためなのか、このばあさんの墓に饅頭を供えてお参りし、花立の水をデキモノに付けると治るという。

唐人ばあさん

 この地域では、昔から子供にデキモノが出来ると「唐人ばあさん に参って来い」と言ったそうです。

 ある知人がヘルペスにかかり医者通いをしたが中々治らない、すごく痛がり苦しんでいたが、唐人ばあさんに参ってみると痛みが直ぐに止まったといいます。

 「不思議なことに、ようそんな事があるんやよ~!」とTさん。

 噂が噂を呼び、今も時折お参りする人も・・・・・それも他県からも参りにくるという。

 昔は少し違った所に自然石で祭っていたが、五輪の墓石になって現在の場所に移転・・・・・・「昔は屋根もなく掃除がしやすかったが、今はブロックで囲まれており手がかかる。」と言われながらもいつも綺麗に祭られている「唐人ばあさん」!

 こんな行いがご利益を呼ぶことになったのかも?

わだかまりを捨てて・・・!

テーマ:伝説
 人々の生活のなかから生まれ、今日まで語り継がれてきた民話や伝説、昔話などなど、全国各地にはその土地ならではの民話がたくさんありますが、ここ熊野川町小口にもあります。

 「火打合い」と呼ばれ、12月の中頃に行なわれていたと思われるこの行事、相手に対しお互いが不平不満を素直に言い合い、新しい年をさっぱりとした気持ちで迎える。
 そんな為の行事であったらしい。

 小口地域にある西の村と長井村は、小口川を境にして向かい合っており、この日の住民は、それぞれの土地から相手の村に対して、心に思っている村や村人のことを大きな声でののしり、普段のわだかまりや不満を率直に口にだして叫んだという。

川を挟んで対峙  ← 右:西地区  左:長井地区

 そして、火をつけた松明のような物を投げあい、興奮してくると小石までもが飛び交ったらしい。
 壮絶な悪口合戦と火、そして石合戦はおそらく多くの人を傷つけたことであろうが、この行事には、最初から行司役(東地区)がおり、三つの村の氏神が祭られた「岩の鼻」で見守りながら、潮時だとみれば手を振って行事の停止を宣告したという。

岩の鼻  ← 岩の鼻(旧高倉神社)

 戦いのあとは氏子の頭の家に集められ、頭が「双方存分に腹の中をさらけ出し、もはや何のわだかまりも残るまい。これからはこれまでの事を水に流し仲良くするように。」との口上を述べると、一同は、「頭の言われるとおり、仲良くしようではないか」といって円満に解決し以後気持ちよく付き合ったという。
 そして、最後は酒を飲み交わし、心地よさを満喫しつつ解散する習いがあった。

 今の世なら、本当にケンカになり収拾がつかなくなることは明白、昔の習いでよかったと胸をなでおろしますよね~。(笑)
 こんな昔のおおらかな気持ちに座布団一枚!と言いたくなるような・・・。

 今ではまったく見られませんが、テレビのない昔は街角でよくやっていた紙芝居、「おっちゃん」に貰った飴玉を食べながら民話に聞き入る子供、その姿は温かいぬくもりに包まれていましたが・・・・。
 地域のすばらしきを知ることができる民話、子供にも学べる機会があれば・・・・と思います。
 学んだ子供は親になり、更に我が子、わが孫に語り継ぐ!!
 こんなことが大事なのでは・・・・・・・・。

アメノウオ「伝説」

テーマ:伝説
 今日からアメノウオの解禁ですが、和田川に伝わる「伝説」を一つ。
 熊野川町小口から畝畑方面に向かうと、道路と平行して実にきれいな和田川が流れています。
 ここに大立島という直径10mほどの巨岩がありますが、この島で世にも恐ろしいことが・・・・。

和田川

和田川2

 小口や赤木、滝本などには平家の落人に関わる伝説が数多くありますが、この話も平家の残党の話。
 その昔、甚内という武勇の優れた者が、小口峡に落ち延びて桧曾原(ひそら)という所にすんでいました。
 世をしのぶ身となってもそこは武士、伝家の宝刀「カラス太刀」だけは肌身離さず持っていました。
 ある日、風に冒され病床に臥していると、見知らぬ茶坊主が来て「この薬は秘薬であるから召し上がれ」と言うので、その親切に感じ入った甚内は毎日服用、しかし、7日たっても治るどころか逆に悪化するばかり。
 なにかおかしい!丁度そのころ、里人に毒の栗ご飯を勧める怪僧が現れていたことから、甚内は茶坊主がその怪物であると見破り、次の訪問を待って茶坊主に一太刀浴びせようと考えた、そうとは知らない茶坊主はいつもの時刻に現れたので、甚内は宝刀を取り出し電光石火!坊主に切りかかりました。
 しかし、悲しいかな病の身、怪物を逃がしてしまいました。
 家人に行方を調べさすと、怪物の血痕は1里ばかり下流の大立島の淵際まで点々と・・・それを確かめた甚内でありましたが、相手は底深き淵にすむ怪物、武士とはいえどうすることも出来なかった。
 思い悩んでいたところ、徳兵衛という漁師が優れた鵜を7年も飼っていると聞きつけ鵜を手に入れることを決断、その旨を徳兵衛に告げると、宝刀「カラス太刀」と取り替えるなら鵜を進ぜようと答えた。
 こうして大事な太刀を手放しながらも鵜を手に入れた甚内は、早速怪物のすむ大立島の淵に鵜を放ちました。
 すると、天地鳴動、空がにわかに曇り、大波が沸き立った。
 淵中の激闘が続いているのか放った鵜は水中深く潜ったまま、日が暮れてもその姿がいっこうに現れない。
 その日はやむなく帰り、夜が明けて現場に駆けつけると淵の周辺はいつもの静かな淀みに戻っていた、しかし、怪物の姿や鵜はどこにも見当たらない。
 川に沿って、少し川下の小立島に行くとその水際に深手を負った鵜が瀕死の状態で倒れており、その傍には満身傷だらけになった大きな魚の死体が横たわっていた。よく見ると、それは世にもまれなる大きなアメノウオであった。
 かくして甚内によって大立島の怪が除かれ里人が安心して暮らせるようになったと言う。

アメノウオ 鵜

 皆さん、如何でしたか!
 和田川には大きなアメノウオがすんでいるんですね~!
 それにしても毒の栗ご飯、怖いですね~。
 でも、伝説っていつ聞いてもいいものです。
 それでは明後日またお目にかかりましょうね サイナラ サイナラ

伝説 「蛇の淵」!

テーマ:伝説
 熊野川町には沢山の伝説がありますが、その一つに「蛇の淵伝説」と言うものがあります。
 「小口自然の家」前から小口川を遡ること500m、普段は静寂そのものですが、チョット不気味さも感じる場所でもあります。

蛇の淵

 昔、この淵には大蛇が住み、近くの森庵(もりな)の丘を7巻き半も巻いて、尻尾は淵の近くの石橋に載せていたという。
 時々里人に危害を加えるので、日暮れには誰一人としてこの場所を通りません、それを聞いた「鳴神上人」は、「人に危害を加えるとはニクイ奴、法力で退治してやろう」と村人に案内してもらって祈祷を始めました。
 しかし、いつまでたっても何も起こらないので案内人は山を降りてしまいましたが、上人は祈り続け、そして、長い祈祷も終わりに近づいたころ、大空はにわかに雲をまし、池の水面は波だち、生臭い風が巻き起こる。
 その異様な状態に共の者はガタガタと全身を震わせていたその時、突如池の中から身の毛もよだつばかりの大蛇が現れた。
 その大蛇は、鎌首を立て火のような舌を出して疾風のごとく上人めがけて飛び掛ってきた、さしもの上人も一飲みにされたか?と思った瞬間、上人の大喝一声、天地が震動し上人の体が上空に舞い上がると大蛇の体が八つ裂きになった。
 この時空中に「カラカラ」という笑い声がした、上人の声であった!
 共の者は、自分が生きている事を疑いながらも大蛇のむくろを蛇の淵に投げ込み、その霊を森庵の丘に封じ込んだ。
 以降、里人は上人を徳として丘の上に祠を作り、祭神とし毎年盆の13日に清蔵寺で施餓鬼の法要を営んでいる。

丘 鳴神上人の碑

刻印 清蔵寺

 小口の人たちは、小さいころから「蛇の淵」近くで蛇を殺してはいけない、そして、この付近で誤って倒れる様なことがあれば着物の片袖をちぎっておかねばならないと教えられたと言います。(大蛇がすんでいた頃、人が倒れた時は人の匂いがする着物の片袖を投げて難を逃れたと言われる)

 以上、小口の「蛇伝説」ですが、蛇にまつわる伝説は中国やインドから始まり国内でも似たような伝説や祭りにしているところなどもあります。
 これって何なんでしょうかね~?

一説には、蛇行した川や、そのうねりが蛇の動きに似たエネルギーとして感じられ、それを神として崇めてきたという考え方もあるようですが・・・・・・・・。
 古代人ってエライ!!

プロフィール

栗

にしやん

熊野古道
大雲取越~小雲取越のど真ん中
「水がきれい」で「空気もうまい」!

こんなすばらしい環境でノンビリと働いて?・・・・・・います!

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