畝畑 ぶらり旅 (パート3)
テーマ:自然
2008年04月30日 06時11分
道路が出来、多くの人達は小口や新宮方面に住まいを移す、残ったのは2軒のみ。
その内の1人○尻さんは、家の前で「ごうば」(蜂の巣)作りの真っ最中、「昔は、この前の川も綺麗やった!淵があって周りには川さつきが一杯咲いて・・・・・・・それが上流の工事で土砂が積もってしも~ぅて、今や昔の面影もない。」と語る。

「えぇ~っ、前の川って?」・・・・・誰が見てもマリーンブルーで、とんでもなく綺麗なのに!!分からないものですね~!まあ~長年住んいる者と初めての者では見方が違うのは当然ですが・・・・・・・。
しばらく話を聞いたあと、古座川方面を目指しました。
ここからの道路は広く、迫り来る原生林の雰囲気とはまるで違う、広がる青空に緑が映えて実に美しい!

壁面には、「山の幸の王様」と言われる「たらの木」もあり丁度食べごろの芽をつけていた。
この辺りの「たら」は、小口地域のものよりもかなり遅いらしく、「小口で採った後ここにも来る。」という。

車を止めてしばらく眺めていたが、高い場所でもあり断念する。
少し走ると右手に大塔山登山口と書かれた看板、そして、直ぐ前のトンネル入口には「古座川町」との表示があった。

「あぁ~ここが新宮市と古座川町の境界か~!」と思っていると、「これ可笑しいんやで、チョットこのトンネルを越えてみるよ!」とNさん!
何が可笑しいのか分からないまま、古座川領域のトンネルを抜けるとそこは・・・・・雪国だった・・・・・違う違う!ww
振り返ってみると、「あれっ」今度は新宮市の表示が・・・・・・いったいトンネルの所有者は誰~れ?それとも看板はどちらかが間違い???
「まあ~いいか!境界確定の立会いに来たんじゃあ~あるまいし・・・・・」
トンネル脇の湧き水には、イモリが温かい陽射しを受けてノンビリと泳いでいました。

小口という大都会(笑)の喧騒から逃れ、3時間ほどの「畝畑探索」・・・・いや~堪能したのなんのって!!


その内の1人○尻さんは、家の前で「ごうば」(蜂の巣)作りの真っ最中、「昔は、この前の川も綺麗やった!淵があって周りには川さつきが一杯咲いて・・・・・・・それが上流の工事で土砂が積もってしも~ぅて、今や昔の面影もない。」と語る。

「えぇ~っ、前の川って?」・・・・・誰が見てもマリーンブルーで、とんでもなく綺麗なのに!!分からないものですね~!まあ~長年住んいる者と初めての者では見方が違うのは当然ですが・・・・・・・。
しばらく話を聞いたあと、古座川方面を目指しました。
ここからの道路は広く、迫り来る原生林の雰囲気とはまるで違う、広がる青空に緑が映えて実に美しい!

壁面には、「山の幸の王様」と言われる「たらの木」もあり丁度食べごろの芽をつけていた。
この辺りの「たら」は、小口地域のものよりもかなり遅いらしく、「小口で採った後ここにも来る。」という。

車を止めてしばらく眺めていたが、高い場所でもあり断念する。
少し走ると右手に大塔山登山口と書かれた看板、そして、直ぐ前のトンネル入口には「古座川町」との表示があった。

「あぁ~ここが新宮市と古座川町の境界か~!」と思っていると、「これ可笑しいんやで、チョットこのトンネルを越えてみるよ!」とNさん!
何が可笑しいのか分からないまま、古座川領域のトンネルを抜けるとそこは・・・・・雪国だった・・・・・違う違う!ww
振り返ってみると、「あれっ」今度は新宮市の表示が・・・・・・いったいトンネルの所有者は誰~れ?それとも看板はどちらかが間違い???
「まあ~いいか!境界確定の立会いに来たんじゃあ~あるまいし・・・・・」
トンネル脇の湧き水には、イモリが温かい陽射しを受けてノンビリと泳いでいました。

小口という大都会(笑)の喧騒から逃れ、3時間ほどの「畝畑探索」・・・・いや~堪能したのなんのって!!


畝畑 ぶらり旅 (パート2)
テーマ:自然
2008年04月28日 06時43分
Nさんについていくと、そこには学校跡が・・・・・・・。
苔むした階段の突き当りには「畝畑少学校」の文字が浮かぶ、校庭には雑草が生い茂り、その先には建物の残骸が・・・・校舎であろうか?宿舎であろうか?朽ち果てた姿がとても痛々しい、畝畑出身のNさんにはとても聞くことが出来なかった。
かつては此処も多くの子供たちの歓声に包まれた場所であっただろうに・・・・・・・。


そして、「この辺が昔の畝畑の銀座や~」といったところが中平地区、往時は7~8軒の家が在ったらしいが、木々に覆われ1軒だけ朽ち行く廃屋があるのみ・・・・・その名残すら見えない。
更に、今では珍しい素掘りのトンネルを通り、山間を縫うようにして走る、小口平地区の民家を通り過ぎ、少し道が広がった北の川地区につけば、ここでストップ。
Nさんの、あれが「辞職峠や!」と指差す先には何とも遠くて高い山が見える!思わず笑ってしまう。
写真ではあまり実感がわかないと思いますが、はるか彼方に3つの峠がありその真ん中の一際高い山が「辞職峠」だという。

この「辞職峠」は、かつてこの地に赴任してきた教師が、この道を通らなければ畝畑の学校に行けないと言われ、余りの険しい山坂に「エェッ!毎日通わなければいけないのか?」と畝畑に入る前に辞職届けを出してしまったという難所中の難所。
しかし、畝畑の方々は、この険しい道を通り幾つもの山を越えなければ小口まで出られず、丸1日かけて米や醤油、塩などの生活物資を購入したという。
中には「飛脚」と呼ばれ、村人の手紙などを届け、帰りには頼まれた買い物をして帰る、それで生計を立てていた人もいたという。
「自然の家」の近所に住む○○さんも畝畑出身の一人、「私ら毎日あの峠を越えてのぅ~小口まで来たんやよ、そりゃぁ~えらかったで~、ある時峠付近でハクラ起こしての!家の人に迎えに来てもろたんやけど、帰りはえら~てのぅフラフラになったこともある。」
そんな大変な生活にもピリオドが・・・・・昭和38年に林道が開通!
かくして50数軒の人々は自動車によって町まで買い物に出かけられるようになりました。
こうして畝畑地区にも念願の道がつきましたが、皮肉なことに便利になったお陰で引越しも相次ぎ、今や畝畑地区には2軒のみ。
人々はこの道路を「引越し道路」と呼ぶ。
苔むした階段の突き当りには「畝畑少学校」の文字が浮かぶ、校庭には雑草が生い茂り、その先には建物の残骸が・・・・校舎であろうか?宿舎であろうか?朽ち果てた姿がとても痛々しい、畝畑出身のNさんにはとても聞くことが出来なかった。
かつては此処も多くの子供たちの歓声に包まれた場所であっただろうに・・・・・・・。


そして、「この辺が昔の畝畑の銀座や~」といったところが中平地区、往時は7~8軒の家が在ったらしいが、木々に覆われ1軒だけ朽ち行く廃屋があるのみ・・・・・その名残すら見えない。
更に、今では珍しい素掘りのトンネルを通り、山間を縫うようにして走る、小口平地区の民家を通り過ぎ、少し道が広がった北の川地区につけば、ここでストップ。
Nさんの、あれが「辞職峠や!」と指差す先には何とも遠くて高い山が見える!思わず笑ってしまう。
写真ではあまり実感がわかないと思いますが、はるか彼方に3つの峠がありその真ん中の一際高い山が「辞職峠」だという。

この「辞職峠」は、かつてこの地に赴任してきた教師が、この道を通らなければ畝畑の学校に行けないと言われ、余りの険しい山坂に「エェッ!毎日通わなければいけないのか?」と畝畑に入る前に辞職届けを出してしまったという難所中の難所。
しかし、畝畑の方々は、この険しい道を通り幾つもの山を越えなければ小口まで出られず、丸1日かけて米や醤油、塩などの生活物資を購入したという。
中には「飛脚」と呼ばれ、村人の手紙などを届け、帰りには頼まれた買い物をして帰る、それで生計を立てていた人もいたという。
「自然の家」の近所に住む○○さんも畝畑出身の一人、「私ら毎日あの峠を越えてのぅ~小口まで来たんやよ、そりゃぁ~えらかったで~、ある時峠付近でハクラ起こしての!家の人に迎えに来てもろたんやけど、帰りはえら~てのぅフラフラになったこともある。」
そんな大変な生活にもピリオドが・・・・・昭和38年に林道が開通!
かくして50数軒の人々は自動車によって町まで買い物に出かけられるようになりました。
こうして畝畑地区にも念願の道がつきましたが、皮肉なことに便利になったお陰で引越しも相次ぎ、今や畝畑地区には2軒のみ。
人々はこの道路を「引越し道路」と呼ぶ。
畝畑 ぶらり旅
テーマ:自然
2008年04月26日 16時40分
熊野川町に畝畑(うねはた)という地域あり、5~6年前のことだったでしょうか?過疎集落としてテレビでも取り上げられ、更に2年ほど前にも再放送されたという。
その関係なのか?今でも尋ねてくる人がいます。
小生も、一度は行ってみたいとは思っていたものの、中々その機会に恵まれず、今回ひょんな事から、初めて訪ねることが出来ました。
もうすぐ連休で「小口キャンプ場」が唯一の繁忙期、お客様が来る前にとサイトを視察、時間があったので和田川を少し溯ってみることにした。

ゆったりとした川の流れに心を奪われつつ、いつの間にやらカメラを持ってつり橋へ。
写真を撮っていると県道から大きな声、「お~い 何しいやるん?」びっくりして見上げるとそこにはNさんが、ニヤニヤしながら立っているではありませんか。
長靴を履いていたのでてっきりアメノウオ釣りにでも行くのか?と思いきや「畝畑まで行く。」という。
「一緒に行かへん?」と誘われたので同行させてもらうことにした。
軽トラに乗り、長瀞橋を過ぎ、切り立った山の中腹をクネクネと走れば山すそに蜂蜜を採取する為の「ごうば」が並べられている、それも5~6つも、聞くところによると和田川流域の味は格別らしく、他で採取している方も「和田川の蜂蜜だけにはかなわんわ~どいらい美味しいで~」と言います。
勿論、杉や桧もあるが照葉樹林が多い為だろうか?日本ミツバチの甘ま~い蜜を想像しながら、トンネルを2つ越えて「ジョロナベラ」へ、ここからは岩礁が続く見事な渓谷美、ガードレールもなく落石が所々に転がるのは、ちょっと怖いが・・・・・でも、その美しさに怖さも半減。
しばらく走ると右手の山すそに小さな滝があった。

止めてもらって写真を写す。
「なる谷」という所ですが、何と言う滝なのだろうか?
水は綺麗な事この上ない、高い山から湧き出てこの滝を作り和田川に注がれる。
心 が癒されつつ次に向かう。


ここから先は未知の世界、初めて入った領域には抜群の透明度を誇るいくつかの川の瀬が見える、そしてアメノウオの伝説がある「小立島」「大立島」が川の中央に「デン」と構えている。

しばらく進むと、県道左手に石垣が見えた!Nさんの「折角ここまで来たんやから上ってみる?」足元はスリッパ履きでチョット心もとないが弱みも見せられずついて行くことにした。
その関係なのか?今でも尋ねてくる人がいます。
小生も、一度は行ってみたいとは思っていたものの、中々その機会に恵まれず、今回ひょんな事から、初めて訪ねることが出来ました。
もうすぐ連休で「小口キャンプ場」が唯一の繁忙期、お客様が来る前にとサイトを視察、時間があったので和田川を少し溯ってみることにした。

ゆったりとした川の流れに心を奪われつつ、いつの間にやらカメラを持ってつり橋へ。
写真を撮っていると県道から大きな声、「お~い 何しいやるん?」びっくりして見上げるとそこにはNさんが、ニヤニヤしながら立っているではありませんか。
長靴を履いていたのでてっきりアメノウオ釣りにでも行くのか?と思いきや「畝畑まで行く。」という。
「一緒に行かへん?」と誘われたので同行させてもらうことにした。
軽トラに乗り、長瀞橋を過ぎ、切り立った山の中腹をクネクネと走れば山すそに蜂蜜を採取する為の「ごうば」が並べられている、それも5~6つも、聞くところによると和田川流域の味は格別らしく、他で採取している方も「和田川の蜂蜜だけにはかなわんわ~どいらい美味しいで~」と言います。
勿論、杉や桧もあるが照葉樹林が多い為だろうか?日本ミツバチの甘ま~い蜜を想像しながら、トンネルを2つ越えて「ジョロナベラ」へ、ここからは岩礁が続く見事な渓谷美、ガードレールもなく落石が所々に転がるのは、ちょっと怖いが・・・・・でも、その美しさに怖さも半減。
しばらく走ると右手の山すそに小さな滝があった。

止めてもらって写真を写す。
「なる谷」という所ですが、何と言う滝なのだろうか?
水は綺麗な事この上ない、高い山から湧き出てこの滝を作り和田川に注がれる。
心 が癒されつつ次に向かう。


ここから先は未知の世界、初めて入った領域には抜群の透明度を誇るいくつかの川の瀬が見える、そしてアメノウオの伝説がある「小立島」「大立島」が川の中央に「デン」と構えている。

しばらく進むと、県道左手に石垣が見えた!Nさんの「折角ここまで来たんやから上ってみる?」足元はスリッパ履きでチョット心もとないが弱みも見せられずついて行くことにした。
信じる者こそ救われる?
テーマ:熊野古道
2008年04月24日 07時40分
今月10日、観心十界曼荼羅図をUPしましたが、その横に「那智社参曼荼羅」も掲げられています。
場所は、熊野川町日足の熊野川行政局の別館2階。
この那智社参曼荼羅は、参詣人で賑わう那智山周辺の風景に熊野信仰にまつわる話などを描いているもので最も代表的なもの。
皆さんも何度か見られたことがあると思いますが、那智のご神体(大滝)や補陀落渡海の様子、妙法山などが描かれ、案内の山伏に導かれながら参拝するという構図で観心十界曼荼羅図と共に、熊野比丘尼が全国各地で熊野神の霊験を説いたときに使用したものです。
説明の仕方やその口調等の文献は無いようですが、比丘尼が小比丘尼を連れて道行く人にどのような説明をしたのか?興味のあるところですよね~!
また、熊野比丘尼の説明を聞いた人々もどのように受け止めたのでしょうか?
遠いこの熊野までの道のり、決して簡単なものではないのに・・・・・・。
難行苦行の道中を乗り越えれば極楽浄土の世があり、神に来世を託すことが出来ると本当に信じたのでしょうか?

最近、熊野古道を歩かれた人のブログなどを見てみると一様に「熊野はとても遠い」と書かれています。
飛行機や車社会の現在でも である。
それを古の人々はテクテクと歩きながら・・・・小生にはとても考えられましぇ~ん。
熊野比丘尼がどれほど話し上手であったにしても、そしていくら幻想的な視覚に訴えられても!!やっぱり小生には無理です。
ちなみに小生、以前の勤務地まで自宅から約1・5Kを自動車で通い、借りていた駐車場に着けば、そこに置いているバイクにまたがり150m先の勤務先に向かう、自慢じゃ~ないが、実にこれを30年間も続けた表現のしようのない「無精たれ」、って言うか「なまくら者」。
今ではその弊害なのか?はたまた体質なのか胴回りが勢いよく成長してきて・・・・これじゃ~現世の招福もあったもんじゃあないし、不老長寿の願いなんて夢のまた夢!
やっぱり神は信じるべきか?
場所は、熊野川町日足の熊野川行政局の別館2階。
この那智社参曼荼羅は、参詣人で賑わう那智山周辺の風景に熊野信仰にまつわる話などを描いているもので最も代表的なもの。
皆さんも何度か見られたことがあると思いますが、那智のご神体(大滝)や補陀落渡海の様子、妙法山などが描かれ、案内の山伏に導かれながら参拝するという構図で観心十界曼荼羅図と共に、熊野比丘尼が全国各地で熊野神の霊験を説いたときに使用したものです。
説明の仕方やその口調等の文献は無いようですが、比丘尼が小比丘尼を連れて道行く人にどのような説明をしたのか?興味のあるところですよね~!
また、熊野比丘尼の説明を聞いた人々もどのように受け止めたのでしょうか?
遠いこの熊野までの道のり、決して簡単なものではないのに・・・・・・。
難行苦行の道中を乗り越えれば極楽浄土の世があり、神に来世を託すことが出来ると本当に信じたのでしょうか?

最近、熊野古道を歩かれた人のブログなどを見てみると一様に「熊野はとても遠い」と書かれています。
飛行機や車社会の現在でも である。
それを古の人々はテクテクと歩きながら・・・・小生にはとても考えられましぇ~ん。
熊野比丘尼がどれほど話し上手であったにしても、そしていくら幻想的な視覚に訴えられても!!やっぱり小生には無理です。
ちなみに小生、以前の勤務地まで自宅から約1・5Kを自動車で通い、借りていた駐車場に着けば、そこに置いているバイクにまたがり150m先の勤務先に向かう、自慢じゃ~ないが、実にこれを30年間も続けた表現のしようのない「無精たれ」、って言うか「なまくら者」。
今ではその弊害なのか?はたまた体質なのか胴回りが勢いよく成長してきて・・・・これじゃ~現世の招福もあったもんじゃあないし、不老長寿の願いなんて夢のまた夢!
やっぱり神は信じるべきか?
最後の桜
テーマ:キャンプ場
2008年04月22日 05時53分
やっぱり今の時期はこれかな?
多くの花見客で賑わった兵連の桜も散り、段々と山の緑も眩しくなってきました。
小口キャンプ場(フリーサイト)の枯れていた芝生も緑を取り戻しつつ、傍らに植えられた八重桜(ボタン桜)もあっと言う間に満開。

ソメイヨシノなんかとはちょっと違うが、きれいなピンク色が実に鮮やか!

一番好きな季節の到来を告げてくれています。
多くの花見客で賑わった兵連の桜も散り、段々と山の緑も眩しくなってきました。
小口キャンプ場(フリーサイト)の枯れていた芝生も緑を取り戻しつつ、傍らに植えられた八重桜(ボタン桜)もあっと言う間に満開。

ソメイヨシノなんかとはちょっと違うが、きれいなピンク色が実に鮮やか!

一番好きな季節の到来を告げてくれています。
お大師さん
テーマ:出来事
2008年04月20日 17時14分
「小口自然の家」の前方を上がること約40分、大休場(おやすば)という所に「お大師さん」として親しまれている碑があります。
縦横約3mの大きな自然石の中央に卍と大日如来、上には仏様が彫られ、そして中央右下には祠が作られ「お大師さん」が祭られています。

この高い山は、今でこそ木々に覆われ訪れる人もいないが、昔は近隣が一望できる見晴らしのよい場所で民家も何軒かあったという。
この碑の近くでは子供たちが遊び、大人達には憩いの場所として賑わった事もあると言い、小口に住む人なら少なからず思い出の残っている場所でしょう。
しかし、今はこの鬱蒼とした山の中をわずかな修験者が通るのみとなっている。
その「お大師さん」を60年もの長が~い間守り続けてきたOさん、「私ら小さい頃から、お大師さんとして祭りやった、風邪や病気になったらお大師さんにすがらしてもろーてのぅ! そやさか、食べ物もない時代でも御飯を炊いて餅をついて必ずお祭りをしてきたんやよ~! おかげ様でありがたい事ばっかり、感謝 感謝です!」と語る。
しかし、この祭りも年々規模が縮小され、これまでは碑の前でお祭りをしてきたが、昨年は場所を変えて、そして今年は、その祭りも開催されることなく「餅ほり」だけ。
Oさんも高齢で体調もよくないことから、ご近所の手助けで餅だけは搗いたようです。


撒かれたのは「白」と「赤」の餅、そして御菓子。
しかし、しかし、悪い事ばかりではないようです!
何時もは、ご近所のおばちゃん達6~7人ほどの拾い手で少し寂しい「餅ほり」ですが、丁度この日は少年野球チーム50名がキャンプ場でバーベキュー、声をかけて沢山の人に参加していただきました。

久しぶりに活気のある「餅ほり」にOさんも「また、元気をもらった!ありがたい ありがたい」と大喜び。
「お大師さん」はご存知の弘法大師空海ですが、大師という称号は高徳な僧に朝廷から贈られる尊称らしく、日本では866年に最澄(比叡山延暦寺を開いた)に伝授されたのがはじめらしいですね!
空海は平安時代初期の僧で「真言宗」の開祖として知られていますが、唐に渡り日本に戻ってから高野山に金剛峰寺を開きました。
「弘法も筆の誤(あやま)り」で知られる書道の達人ですが、この言葉って、たまたま誤ったから今に残っていますが、小生のように毎日誤りを繰り返していれば、これほど有名にはならなかったかも??
縦横約3mの大きな自然石の中央に卍と大日如来、上には仏様が彫られ、そして中央右下には祠が作られ「お大師さん」が祭られています。

この高い山は、今でこそ木々に覆われ訪れる人もいないが、昔は近隣が一望できる見晴らしのよい場所で民家も何軒かあったという。
この碑の近くでは子供たちが遊び、大人達には憩いの場所として賑わった事もあると言い、小口に住む人なら少なからず思い出の残っている場所でしょう。
しかし、今はこの鬱蒼とした山の中をわずかな修験者が通るのみとなっている。
その「お大師さん」を60年もの長が~い間守り続けてきたOさん、「私ら小さい頃から、お大師さんとして祭りやった、風邪や病気になったらお大師さんにすがらしてもろーてのぅ! そやさか、食べ物もない時代でも御飯を炊いて餅をついて必ずお祭りをしてきたんやよ~! おかげ様でありがたい事ばっかり、感謝 感謝です!」と語る。
しかし、この祭りも年々規模が縮小され、これまでは碑の前でお祭りをしてきたが、昨年は場所を変えて、そして今年は、その祭りも開催されることなく「餅ほり」だけ。
Oさんも高齢で体調もよくないことから、ご近所の手助けで餅だけは搗いたようです。


撒かれたのは「白」と「赤」の餅、そして御菓子。
しかし、しかし、悪い事ばかりではないようです!
何時もは、ご近所のおばちゃん達6~7人ほどの拾い手で少し寂しい「餅ほり」ですが、丁度この日は少年野球チーム50名がキャンプ場でバーベキュー、声をかけて沢山の人に参加していただきました。

久しぶりに活気のある「餅ほり」にOさんも「また、元気をもらった!ありがたい ありがたい」と大喜び。
「お大師さん」はご存知の弘法大師空海ですが、大師という称号は高徳な僧に朝廷から贈られる尊称らしく、日本では866年に最澄(比叡山延暦寺を開いた)に伝授されたのがはじめらしいですね!
空海は平安時代初期の僧で「真言宗」の開祖として知られていますが、唐に渡り日本に戻ってから高野山に金剛峰寺を開きました。
「弘法も筆の誤(あやま)り」で知られる書道の達人ですが、この言葉って、たまたま誤ったから今に残っていますが、小生のように毎日誤りを繰り返していれば、これほど有名にはならなかったかも??
熊野原人の会
テーマ:自然
2008年04月18日 05時54分
素晴らしい自然環境に恵まれた熊野川町小口、中でも熊野川支流の「和田川」は、この世のものと思えない美しさです。
圧倒されるような岩肌や原生林に囲まれ悠久と流れる和田川、古の人々はこの川から多くの恵みを受け心豊かに暮らしてきました。
川辺は白い石礫からなり随所に見ごたえのある峡谷が続く、蛇行しながら赤木川を経て熊野川に注がれる姿はとてもエネルギッシュです。
また、水温も高く多様な生物も生息、ウグイやオイカワ、アブラハヤ、カワムツ、ガブ(鮎カケ)などは河川の上流域まで分布、そして、春からはアメノウオ(あまご)、6月からは生きのいい鮎が捕獲でき、夏にはズガニ(モクズガニ)も獲れる。
きれいで透き通った水は、流れの速い瀬や深い淵までも藻類をつくり生き物の快適な住家になっています。
原形を保ち古代の息吹を感じさせる和田川は まさしく川の中の川で、この素晴らしい財産を後世にまで残していかなければならない!
今回、そんな思いを抱く小口住民や熊野出身者などによって、「熊野原人の会」が設立されました。

この会は、保護活動の展開に先立って、まずこの川の素晴らしさを皆さんに知っていただく事が重要と考え、手法の一つとして来る8月9日と10日に和田川峡谷野人レース(アクアスロン)の開催を計画いたしました。
今回は将来の一般公開レースを前に、安全性の確認とレース及び参加者への対応策などを図るべく、会員やその家族等での試行レースとなりますが、次年度以降には全国規模の大会にしたいと考えています。

乞う ご期待!!
う~~ん、チョット真面目すぎたかな~?・・・・・・
圧倒されるような岩肌や原生林に囲まれ悠久と流れる和田川、古の人々はこの川から多くの恵みを受け心豊かに暮らしてきました。
川辺は白い石礫からなり随所に見ごたえのある峡谷が続く、蛇行しながら赤木川を経て熊野川に注がれる姿はとてもエネルギッシュです。
また、水温も高く多様な生物も生息、ウグイやオイカワ、アブラハヤ、カワムツ、ガブ(鮎カケ)などは河川の上流域まで分布、そして、春からはアメノウオ(あまご)、6月からは生きのいい鮎が捕獲でき、夏にはズガニ(モクズガニ)も獲れる。
きれいで透き通った水は、流れの速い瀬や深い淵までも藻類をつくり生き物の快適な住家になっています。
原形を保ち古代の息吹を感じさせる和田川は まさしく川の中の川で、この素晴らしい財産を後世にまで残していかなければならない!
今回、そんな思いを抱く小口住民や熊野出身者などによって、「熊野原人の会」が設立されました。

この会は、保護活動の展開に先立って、まずこの川の素晴らしさを皆さんに知っていただく事が重要と考え、手法の一つとして来る8月9日と10日に和田川峡谷野人レース(アクアスロン)の開催を計画いたしました。
今回は将来の一般公開レースを前に、安全性の確認とレース及び参加者への対応策などを図るべく、会員やその家族等での試行レースとなりますが、次年度以降には全国規模の大会にしたいと考えています。

乞う ご期待!!
う~~ん、チョット真面目すぎたかな~?・・・・・・
遠い国から・・・
テーマ:熊野古道
2008年04月16日 08時11分
昨日、アイルランドから25名のお客様が宿泊してくれました。
この団体さんの名前は「ファイティング・ブラインドネス」、目の疾患のための資金を提供する慈善団体で25年ほど前に網膜の疾患患者や家族などで組織したという。
厳しいことに挑戦することで、寄付を受けたり計画を達成した際などに資金提供を受け、それを目の治療機関などに募金をしているらしい。
熊野古道へのチャレンジもその内の一つで、請川からの小雲取越えに挑み午後4時ごろ小口に着く予定。
午前11時、一行の荷物を載せた大型バスが玄関に横付けされ、この荷物を運転手さんと2人で降ろすことに、ところがこの荷物重いのなんのって話にならない、いつものお客様の物なら2~3個を一度に持って運び入れるのに・・・・・。
まあ、遠いアイルランドからの長旅、荷物が多いのは頷けるが・・・それにしても半端じゃ~ない重さ、30キロ以上あるでしょうか?1つ持つだけでも大変!
こんな荷物を背負う人って「プロレスラーか相撲取りしかおらんやろ~?」とヒーヒー言いながら運びました。
玄関先は荷物で足の踏み場もない状態!
しばらく時間が経過し、まだまだ到着には時間があるし昼食を食べることに、ところが食べ始めたところで玄関の戸が「ガラッ」、第一陣が顔を出したではないですか!
目の不自由な方もいるし、時間がかかると聞いていたのでびっくり仰天!
あわてて弁当箱にふたをしてお迎えに!
到着したのは女性2名と男性3名の5名さま、日本語は話せないので何を言っているのか?よくわからないが、「ここは私たちが予約している宿か?」(想像)と言っているようでとりあえず「イエース」、登山靴のまま中に入ろうとしたので身振り手振りでスリッパに履き替えていただき、洗濯場所と風呂、トイレを ゛単語だけで゛説明、とりあえず部屋に案内!
一まず「ホッ」とし再び弁当を食べ始めると「バタン」という風呂を閉める音、「これはシマッタ!」と思い急いで風呂に向かうも、すでに風呂の中に!
いつもは、皆さんが到着する頃を見計らって1時間ほど前からため始める風呂、4時ごろだからまだまだ早いと思っていた矢先のこと。
男風呂ならともかく女性の風呂には入って行けないし・・・・・まあ、いっか!風呂に入れば水がないのに気づくだろうと思いそのまま放置。
それから3時間後ようやくご一行が到着したので各部屋に案内しましたが、今度は部屋の割り振りに問題があったのか、なにやら添乗員と揉めている雰囲気?
と思いきや敷いていた布団を抱えてローカをうろうろ・・・・・・。
ようやく落ち着きをとり戻したので、通訳を介して女性風呂を確認してみると、誰も入った形跡がないのに湯が出しっぱなし、第一陣のお客さまが風呂に栓をし湯を溜めようとしたらしいが、忘れてそのまま放置したらしい。
浴槽から湯がどんどんとあふれていた、それも3時間も・・・・・・(いたっ!)


夜はフリーサイトキャンプ場で修験者の護摩焚などもあり、「旅の安全」を祈りつつバーベキューに舌鼓!
まあ、体格が良いせいか食べること食べる事、終わってみればすごいビールの山!!!

いや~楽しかったが、なんともはや あわただしい一日でした。
この団体さんの名前は「ファイティング・ブラインドネス」、目の疾患のための資金を提供する慈善団体で25年ほど前に網膜の疾患患者や家族などで組織したという。
厳しいことに挑戦することで、寄付を受けたり計画を達成した際などに資金提供を受け、それを目の治療機関などに募金をしているらしい。
熊野古道へのチャレンジもその内の一つで、請川からの小雲取越えに挑み午後4時ごろ小口に着く予定。
午前11時、一行の荷物を載せた大型バスが玄関に横付けされ、この荷物を運転手さんと2人で降ろすことに、ところがこの荷物重いのなんのって話にならない、いつものお客様の物なら2~3個を一度に持って運び入れるのに・・・・・。
まあ、遠いアイルランドからの長旅、荷物が多いのは頷けるが・・・それにしても半端じゃ~ない重さ、30キロ以上あるでしょうか?1つ持つだけでも大変!
こんな荷物を背負う人って「プロレスラーか相撲取りしかおらんやろ~?」とヒーヒー言いながら運びました。
玄関先は荷物で足の踏み場もない状態!
しばらく時間が経過し、まだまだ到着には時間があるし昼食を食べることに、ところが食べ始めたところで玄関の戸が「ガラッ」、第一陣が顔を出したではないですか!
目の不自由な方もいるし、時間がかかると聞いていたのでびっくり仰天!
あわてて弁当箱にふたをしてお迎えに!
到着したのは女性2名と男性3名の5名さま、日本語は話せないので何を言っているのか?よくわからないが、「ここは私たちが予約している宿か?」(想像)と言っているようでとりあえず「イエース」、登山靴のまま中に入ろうとしたので身振り手振りでスリッパに履き替えていただき、洗濯場所と風呂、トイレを ゛単語だけで゛説明、とりあえず部屋に案内!
一まず「ホッ」とし再び弁当を食べ始めると「バタン」という風呂を閉める音、「これはシマッタ!」と思い急いで風呂に向かうも、すでに風呂の中に!
いつもは、皆さんが到着する頃を見計らって1時間ほど前からため始める風呂、4時ごろだからまだまだ早いと思っていた矢先のこと。
男風呂ならともかく女性の風呂には入って行けないし・・・・・まあ、いっか!風呂に入れば水がないのに気づくだろうと思いそのまま放置。
それから3時間後ようやくご一行が到着したので各部屋に案内しましたが、今度は部屋の割り振りに問題があったのか、なにやら添乗員と揉めている雰囲気?
と思いきや敷いていた布団を抱えてローカをうろうろ・・・・・・。
ようやく落ち着きをとり戻したので、通訳を介して女性風呂を確認してみると、誰も入った形跡がないのに湯が出しっぱなし、第一陣のお客さまが風呂に栓をし湯を溜めようとしたらしいが、忘れてそのまま放置したらしい。
浴槽から湯がどんどんとあふれていた、それも3時間も・・・・・・(いたっ!)


夜はフリーサイトキャンプ場で修験者の護摩焚などもあり、「旅の安全」を祈りつつバーベキューに舌鼓!
まあ、体格が良いせいか食べること食べる事、終わってみればすごいビールの山!!!

いや~楽しかったが、なんともはや あわただしい一日でした。
溯上!!
テーマ:自然
2008年04月14日 04時41分
昨日、「鮎の溯上や~」と近所のNさん!
早速2~3分走った赤木川の堰堤に連れてってもらいました。

( ↑ きのうの写真じゃ~ないですよ~!)
ここ数日の雨で水量の多い赤木川、堰堤の中央付近を飛び上がる様を想像していた小生。
「どこ?」
「ここやここ!」

護岸に立った足元を指さすので、真下に目を落とすと「なんと何と! 小さな小さな鮎が作られた魚道を一生懸命に上っている。」
この体にしてはすごい激流だろう!それをものともしないで飛び上がっていく。
その姿は誠に けなげでもあり、すこ~し感動!
無事激流を上り終えた鮎の稚魚たちは安心したのか上流へと上っていきました。

漁業組合の関係者であろうか?川の状況視察に来ていた人に聞く、「これ、放流・・・・?」「いや、これは天然や~」
「どこが違うん?」
3~5cmほどの小さな鮎、「な~ぜ???」
「放流の鮎やったら、こんな水量でよう上がらん!」
チリメン雑魚のような小さな鮎、あと二ヶ月もすれば一人前の?いや一匹前・・・・・あれ~何て言うんやろ~?
どっちでもええけど・・・・・あ~~~早よ食べたい!
早速2~3分走った赤木川の堰堤に連れてってもらいました。

( ↑ きのうの写真じゃ~ないですよ~!)
ここ数日の雨で水量の多い赤木川、堰堤の中央付近を飛び上がる様を想像していた小生。
「どこ?」
「ここやここ!」

護岸に立った足元を指さすので、真下に目を落とすと「なんと何と! 小さな小さな鮎が作られた魚道を一生懸命に上っている。」
この体にしてはすごい激流だろう!それをものともしないで飛び上がっていく。
その姿は誠に けなげでもあり、すこ~し感動!
無事激流を上り終えた鮎の稚魚たちは安心したのか上流へと上っていきました。

漁業組合の関係者であろうか?川の状況視察に来ていた人に聞く、「これ、放流・・・・?」「いや、これは天然や~」
「どこが違うん?」
3~5cmほどの小さな鮎、「な~ぜ???」
「放流の鮎やったら、こんな水量でよう上がらん!」
チリメン雑魚のような小さな鮎、あと二ヶ月もすれば一人前の?いや一匹前・・・・・あれ~何て言うんやろ~?
どっちでもええけど・・・・・あ~~~早よ食べたい!
桜祭りの猫!
テーマ:出来事
2008年04月12日 23時53分
本日、開催された本宮町の「さくら祭り」、4~5日前に小口「みち芝グループ」の出店も決まり、以来小生は道具係と雑用係を拝命しておりました。
せめて係長ぐらいの役職がほしいと駄々をこねていましたが、O○良子会長の一喝であえなく撃沈、昨日からいささか緊張気味でしたが、昨夜の帰宅は午後9時半、アルコールで胃の中を消毒して寝たのが11時、そして朝3時に起き、今か今かと待ち受ける間にもう6時、あわててブレイクフア~ストをとりブッ飛ばして小口に向かう。
小口着は7時前、もう既に軍団の隊長以下が勢ぞろいして待機、約束の10分前に着いたにもかかわらず、お詫び?の敬礼をして早速荷物を積んで いざ出発!
今度は車の運転もいたって慎重に!なにせ年齢のアベレージが80ウンサイという大御所たち、もしも鋭くカーブを回ったり急ブレーキでもかけようものなら怪我は必至と、のろのろ運転で約40分、何とか会場に到着しました。
場所はどこかと尋ねたら?なんと何と「川原の家」で「わらじ作り体験」をさせていただけるという破格の待遇。


この祭りは、本宮大社の宵宮行事の一環として実施されるというもので、場所は旧大社跡の大斎原、日本一の大鳥居を背後にロケーションも最高!
「これは これは、非常に格式のあるイベント」と思ったのもつかの間、式典が開始され最初に登場したのは九鬼宮司、「この祭りは今回がはじめて、2回3回と続けていく事が出来ればいいのですが、それは今日の出来次第!まあ、とりあえず楽しくやってください!」と何とも粋な挨拶、会場からは笑い声も聞こえ、宮司の言葉で会場の雰囲気は一気に和みました。
「イベントはこうでなくちゃ~!」と思いつつ式典は進み、そのまま祭りに突入、出店数は50数店という結構な数、何事にも恐れを知らない我が「みち芝グループ」もこの日ばかりは勝手が違うようです。
他市町村にくれば、小口最強といっても所詮は借りてきた猫、「ニャン」とも言わずおとなしいスタートをきりました。
しかし しかし、そこはつわもの、時間の経過とともにアッという間に雰囲気に溶け込み「喋ること 喋ること!!」体験に来たお客様を前に冗談を言いつつ大笑い、口は動くがなかなか手は動かない!
そんな中でも、宮司の挨拶どおり終始楽しく過ごすことが出来ました。
会場では、オープニングの奥熊野太鼓からフラダンスやヨサコイソーランなどが披露され大いに盛り上がりました。
○実行委員長の計らいで参加できたことに感謝しつつ・・・・・・ただいまから休ませていただきます。
せめて係長ぐらいの役職がほしいと駄々をこねていましたが、O○良子会長の一喝であえなく撃沈、昨日からいささか緊張気味でしたが、昨夜の帰宅は午後9時半、アルコールで胃の中を消毒して寝たのが11時、そして朝3時に起き、今か今かと待ち受ける間にもう6時、あわててブレイクフア~ストをとりブッ飛ばして小口に向かう。
小口着は7時前、もう既に軍団の隊長以下が勢ぞろいして待機、約束の10分前に着いたにもかかわらず、お詫び?の敬礼をして早速荷物を積んで いざ出発!
今度は車の運転もいたって慎重に!なにせ年齢のアベレージが80ウンサイという大御所たち、もしも鋭くカーブを回ったり急ブレーキでもかけようものなら怪我は必至と、のろのろ運転で約40分、何とか会場に到着しました。
場所はどこかと尋ねたら?なんと何と「川原の家」で「わらじ作り体験」をさせていただけるという破格の待遇。


この祭りは、本宮大社の宵宮行事の一環として実施されるというもので、場所は旧大社跡の大斎原、日本一の大鳥居を背後にロケーションも最高!
「これは これは、非常に格式のあるイベント」と思ったのもつかの間、式典が開始され最初に登場したのは九鬼宮司、「この祭りは今回がはじめて、2回3回と続けていく事が出来ればいいのですが、それは今日の出来次第!まあ、とりあえず楽しくやってください!」と何とも粋な挨拶、会場からは笑い声も聞こえ、宮司の言葉で会場の雰囲気は一気に和みました。
「イベントはこうでなくちゃ~!」と思いつつ式典は進み、そのまま祭りに突入、出店数は50数店という結構な数、何事にも恐れを知らない我が「みち芝グループ」もこの日ばかりは勝手が違うようです。
他市町村にくれば、小口最強といっても所詮は借りてきた猫、「ニャン」とも言わずおとなしいスタートをきりました。
しかし しかし、そこはつわもの、時間の経過とともにアッという間に雰囲気に溶け込み「喋ること 喋ること!!」体験に来たお客様を前に冗談を言いつつ大笑い、口は動くがなかなか手は動かない!
そんな中でも、宮司の挨拶どおり終始楽しく過ごすことが出来ました。
会場では、オープニングの奥熊野太鼓からフラダンスやヨサコイソーランなどが披露され大いに盛り上がりました。
○実行委員長の計らいで参加できたことに感謝しつつ・・・・・・ただいまから休ませていただきます。



