東三河からやってきました
旅のことが多いブログでしたが
いつしか日常的ブログへと変化
旅の話はもういっちょのブログへどんぞ
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塩けんぴ
テーマ:ブログ
2012年05月15日 19時15分
うちのインターネット
ケーブルテレビでつなげているのですが
ルーターが壊れてしまい
パソコンでネットできない
レンタルのルーターですので
業者さんに電話を入れると
明日、新品と交換しましょうと
料金は???
よほどのことがない限り無料交換ですので
言って見るもんです
ということで
今日は熊野古道日記はお休みして
小ネタ

夢古道おわせで購入した「塩けんぴ」
土佐の名物の「芋けんぴ」とちがい
薄くカットしていて
かつ蜜ならではのベタつきもなく
こういうのもありなんだなぁと思い
モグモグ(^O^)
美味しくいただきました
製造しているのは
しお学舎という会社で
名前の通り、旧校舎を使っているとのことです
ケーブルテレビでつなげているのですが
ルーターが壊れてしまい
パソコンでネットできない
レンタルのルーターですので
業者さんに電話を入れると
明日、新品と交換しましょうと
料金は???
よほどのことがない限り無料交換ですので
言って見るもんです
ということで
今日は熊野古道日記はお休みして
小ネタ

夢古道おわせで購入した「塩けんぴ」
土佐の名物の「芋けんぴ」とちがい
薄くカットしていて
かつ蜜ならではのベタつきもなく
こういうのもありなんだなぁと思い
モグモグ(^O^)
美味しくいただきました
製造しているのは
しお学舎という会社で
名前の通り、旧校舎を使っているとのことです
春の熊野への路〜PART6〜
テーマ:紀伊半島の旅話し
2012年05月14日 19時00分
今更ながら
なんで熊野へ足を運ぶんかななんて書くことにします
もともと、「祈り」とか「神様」とか
今風で言う「パワースポット」なんぞまるで興味がなく
それでいながら観光的でもなくて
南部町の研究者の山本先生からもらった資料から
熊野詣の要因として
いくつか挙げてもらったのですが
・観音菩薩の住む補陀落浄土
・阿弥陀如来の住む西方浄土
・薬師如来の住む東方瑠璃浄土
・霊験あらたかな熊野牛王宝印
・熊野御師と比丘尼の活動
・女人も等しく参詣できた
・現世に安穏、死後極楽
・末法思想ー戦乱と疫病の流行
わけの分からない言葉が多いかもしれませんが
いろんな本を読んで、ほんの少しだけ知識を得ている自分には
なるほどなあって思うんです
とはいえ、まだまだわかっていないことがほとんど
そのためにはまた行脚をしなければと
かつキツイ思いをして
ブロガーさんの中にはそれをドMという方もおるでしょうが
熊野への路は
自己鍛錬と自己修行
今回の行脚はそんな目的から逸脱することもありましたが
次回は原点に戻る行脚ができたらとも思っています
そんな春の熊野への路
今日もスタートです
西御坊から
国道を横切り
小腹が空いたこともあり行ったところは
前日の昼食に引き続き
喫茶みはる
ともちんがニャリとお待ちかね
そうです「アレ」を食べないといけないんです
当然注文は「アレ」
待つこと10分
出てきました

なんとも言えない芸術美
TOTO製??それともINAX???
そんな理屈はどうでもいい
出された料理はきちんと食べる
これが作り手さん対する敬意というもの
隣のお客さんも
興味津々に眺める
あの人
あんな容器でよくもまあ〜
なんて思っているのだろうか
しかし、そんな事を言っては
みはるままに失礼だ
最後まで美味しく食べる
これが自分にできる最高のままさんへのパフォーマンス
そして
完食

反省点も残る
もう少し綺麗に食べるとか
それは次回への課題として残しておこう
以上、◯器カレードキュメントでした
アイスコーヒーを飲み
ほどよくクールダウンしたところでスタート
国道42号線を歩くことにします

まずは日高川を渡ります
本日3回も渡ったことになります
実感としては広い
はっきりくっきり意識します
しばらくすると国道から離れ
塩屋の集落を歩くことにします

去年の夏は
灼熱の太陽によって照らされ
足のまめ潰れもあってか
苦しむことしかなかった古道行脚
しかし、至って快調
歩くのが楽しくなります
また「塩屋」という地名は
大同年間(806〜10)に魚屋権兵衛が製塩を始めたことによるといいます

そんな集落の道を暫く歩くと
塩屋王子に到着です

美人王子としても知られる塩屋王子
御神体が天照大御神の女神像で
これが美人であるからとか

境内には照葉樹林が広がっていますが
御坊市指定の天然記念物とか
お祈りを済ませ
さらに南に下ることに
しばらくは国道に入らずに
生活道路を歩いていきます
途中から若干坂道があり
少し標高が上がったのを実感すると
眼下に海が見えてきます

ほんのちょこっとの高台ですけど
やっぱりいつ見てもきれいな海です
なおこの近くにある権現磯は
熊野権現の降臨地と伝承されていたようです
完全に下りきって
国道42号線をちょこっと歩いて
今度は海側への横道へ
しかし、ちょっと異変
足のほうではなくて
腰が痛いのです
ずーっとアスファルトの舗装路を歩いていたのもありますが
ちなみにこの時点で歩き始めて25km弱
ザックの腰と肩下の紐の締め方のバランスが悪いのか
さほど重い荷物を背負っているわけではないのに不思議です
どうしようもない痛みではないので
そのまま歩き続けます

歩いているうちに清姫の草履塚
ビニールハウスが傍らに
のどかな史跡・・・・・
安珍を追ってきた清姫が、ここで脱ぎ捨てた草履を松の枝にかけ
裸足になったといいます
再び国道42号線に戻り
今度はゆるい上り坂
登り切ったところに「はし長」
GW効果か
お客さんの入りもいいようです
再び国道から離れ名田地区を歩きます
学生さんらしき人がちらほらと思ったら
和歌山高専でした
そしてもうしばらく歩きますと

上野王子社に到着です
先客がいて
コンデジでパシャパシャ
明治41年に山口八幡神社に合祀されたこの上野王子社
今では完全に跡地といったかんじで
ちょっと寂しいです
改めてスタートするも
今度は眠気が襲ってまりました

海なんか見ても覚めるわけではないし
仕方がない
お昼寝だぁ
路肩のコンクリに座り込み
つかの間の昼寝をする
ヘタレのだらりんでした
つづく
なんで熊野へ足を運ぶんかななんて書くことにします
もともと、「祈り」とか「神様」とか
今風で言う「パワースポット」なんぞまるで興味がなく
それでいながら観光的でもなくて
南部町の研究者の山本先生からもらった資料から
熊野詣の要因として
いくつか挙げてもらったのですが
・観音菩薩の住む補陀落浄土
・阿弥陀如来の住む西方浄土
・薬師如来の住む東方瑠璃浄土
・霊験あらたかな熊野牛王宝印
・熊野御師と比丘尼の活動
・女人も等しく参詣できた
・現世に安穏、死後極楽
・末法思想ー戦乱と疫病の流行
わけの分からない言葉が多いかもしれませんが
いろんな本を読んで、ほんの少しだけ知識を得ている自分には
なるほどなあって思うんです
とはいえ、まだまだわかっていないことがほとんど
そのためにはまた行脚をしなければと
かつキツイ思いをして
ブロガーさんの中にはそれをドMという方もおるでしょうが
熊野への路は
自己鍛錬と自己修行
今回の行脚はそんな目的から逸脱することもありましたが
次回は原点に戻る行脚ができたらとも思っています
そんな春の熊野への路
今日もスタートです
西御坊から
国道を横切り
小腹が空いたこともあり行ったところは
前日の昼食に引き続き
喫茶みはる
ともちんがニャリとお待ちかね
そうです「アレ」を食べないといけないんです
当然注文は「アレ」
待つこと10分
出てきました

なんとも言えない芸術美
TOTO製??それともINAX???
そんな理屈はどうでもいい
出された料理はきちんと食べる
これが作り手さん対する敬意というもの
隣のお客さんも
興味津々に眺める
あの人
あんな容器でよくもまあ〜
なんて思っているのだろうか
しかし、そんな事を言っては
みはるままに失礼だ
最後まで美味しく食べる
これが自分にできる最高のままさんへのパフォーマンス
そして
完食

反省点も残る
もう少し綺麗に食べるとか
それは次回への課題として残しておこう
以上、◯器カレードキュメントでした
アイスコーヒーを飲み
ほどよくクールダウンしたところでスタート
国道42号線を歩くことにします

まずは日高川を渡ります
本日3回も渡ったことになります
実感としては広い
はっきりくっきり意識します
しばらくすると国道から離れ
塩屋の集落を歩くことにします

去年の夏は
灼熱の太陽によって照らされ
足のまめ潰れもあってか
苦しむことしかなかった古道行脚
しかし、至って快調
歩くのが楽しくなります
また「塩屋」という地名は
大同年間(806〜10)に魚屋権兵衛が製塩を始めたことによるといいます

そんな集落の道を暫く歩くと
塩屋王子に到着です

美人王子としても知られる塩屋王子
御神体が天照大御神の女神像で
これが美人であるからとか

境内には照葉樹林が広がっていますが
御坊市指定の天然記念物とか
お祈りを済ませ
さらに南に下ることに
しばらくは国道に入らずに
生活道路を歩いていきます
途中から若干坂道があり
少し標高が上がったのを実感すると
眼下に海が見えてきます

ほんのちょこっとの高台ですけど
やっぱりいつ見てもきれいな海です
なおこの近くにある権現磯は
熊野権現の降臨地と伝承されていたようです
完全に下りきって
国道42号線をちょこっと歩いて
今度は海側への横道へ
しかし、ちょっと異変
足のほうではなくて
腰が痛いのです
ずーっとアスファルトの舗装路を歩いていたのもありますが
ちなみにこの時点で歩き始めて25km弱
ザックの腰と肩下の紐の締め方のバランスが悪いのか
さほど重い荷物を背負っているわけではないのに不思議です
どうしようもない痛みではないので
そのまま歩き続けます

歩いているうちに清姫の草履塚
ビニールハウスが傍らに
のどかな史跡・・・・・
安珍を追ってきた清姫が、ここで脱ぎ捨てた草履を松の枝にかけ
裸足になったといいます
再び国道42号線に戻り
今度はゆるい上り坂
登り切ったところに「はし長」
GW効果か
お客さんの入りもいいようです
再び国道から離れ名田地区を歩きます
学生さんらしき人がちらほらと思ったら
和歌山高専でした
そしてもうしばらく歩きますと

上野王子社に到着です
先客がいて
コンデジでパシャパシャ
明治41年に山口八幡神社に合祀されたこの上野王子社
今では完全に跡地といったかんじで
ちょっと寂しいです
改めてスタートするも
今度は眠気が襲ってまりました

海なんか見ても覚めるわけではないし
仕方がない
お昼寝だぁ
路肩のコンクリに座り込み
つかの間の昼寝をする
ヘタレのだらりんでした
つづく
春の熊野への路〜PART5〜
テーマ:紀伊半島の旅話し
2012年05月13日 18時50分
昨日はサボってしまいました
行脚日記
実は昨日、尾鷲にある熊野古道センターに行ってまして
いわば、今回GWで行脚したところの
再確認と調査
今はネットでいろいろ調べられますけど
それが生きた情報かと聞かれたら
必ずしもそうとは言えなくて
実際にセンターに勤務されている方に聞いたり
蔵書の中から吸収したり
また

那智参詣曼荼羅を見ては
ちょっとした熊野比丘尼気分になったり
とはいえわかったのは
熊野について学ぶとこはすごくいっぱいありますが
特に那智に関しては難解・・・・・
歴史、精神、宗教
それ以外にも数多くの要因が関わっているだけに
それを頭の中で整理をしながらの勉強です
なお熊野古道センター
伊勢から那智を結ぶラインで知りたいことがあったら
ぜひとも訪れてください
なお中辺路に関しては
世界遺産センターや滝尻の古道館の方がいいです
おっとっと
前置きが長くなりましたが
4月29日!!!
もう二週間経っちまった!!!
スタートです
前回は激細路地で終了しましたこの日記

たぶんこの路地
原付専用の道路かと思いますが
スレ違いはまず困難だと思います
そんな路地があっちこっちの町

和歌山県御坊市寺内町におじゃましました
そんな寺内町との初めての出会いは
はじめてみはるに行った時のこと

みはるを出て南部方面へと行くところが
国道42号線が事故で通行止めで
西御坊の駅を通り抜ける道へと行かざるを得なかったわけです

その時にいい感じに渋いなあと思ったのですが
それが寺内町だったわけです

それ以来、なかなか行くことも出来ず
去年の夏があの状態だっただけに
念願かなっての歩き行脚です

ちなみに寺内町の始まりは
鷺森の有力な後援者佐竹伊賀守の尽力で
文禄4年(1595年)薗浦と島浦の荒地四町を得、
日高別院を建立したのがはじまりです

またその前身となったのは
古寺内にあったとされる薗坊舎です

江戸時代に入ると
別院は西に向かう比井街道の起点に加え
東に熊野三山参詣道の紀州街道が入る要地として
日高川河口を利用して廻船業が大いに栄え
坊舎付近には多くの軒を並べました

また御坊の町家は大正から昭和30年にかけて多く建てられました

今回は前調べもなく
ただ黙々と歩いただけに
寺内町の名所というのは訪れなかったのですが
歩くだけでもいい町並みであることは確認できます

村ぶろ内で
ひろしさん
二人知っているのですが・・・・・

チャンプさんは
湯浅との比較で申していることがありましたが
さすがに渋いのは湯浅かもしれません
そして観光客の多さも湯浅

でもこうして
行脚して歩いてみると
御坊もいい街じゃんと思ってしまうのです

寺内町探索も終わりを告げる頃に
西御坊駅へと

なにかと小さな鉄道
歴史は比較的新しく昭和6年に開業

区間はわずか2.7km
当時は日本一短い鉄道として名を売りました

話によりますと
さらに煙樹ヶ浜まで延ばして
観光地として開発する構想を立てていたようですが
それは幻となったようです

ちなみに自分が唯一乗ったのは
去年の夏

熊野古道行脚
道を間違えて御坊駅へ
足の状態もあって
ズルしてしまいました

気動車のなんとも言えない味わいが
情景を感じさせてくれます
なお紀勢本線は新宮までは電車ですが
そこから熊野市・松坂方面は気動車となります
絶好の車窓のスポットは
熊野市から〜尾鷲市の入江の風景です
とまたまた話が横道にそれたところで
今回の熊野古道行脚というより
寺内町行脚は終了

明日の記事
みはるのホニャララカレーの話へと続いていきます
あっ
もういっちょのヤル気のない
旅の写真ブログ
マイペースに頑張ることに・・・・・・
行脚日記
実は昨日、尾鷲にある熊野古道センターに行ってまして
いわば、今回GWで行脚したところの
再確認と調査
今はネットでいろいろ調べられますけど
それが生きた情報かと聞かれたら
必ずしもそうとは言えなくて
実際にセンターに勤務されている方に聞いたり
蔵書の中から吸収したり
また

那智参詣曼荼羅を見ては
ちょっとした熊野比丘尼気分になったり
とはいえわかったのは
熊野について学ぶとこはすごくいっぱいありますが
特に那智に関しては難解・・・・・
歴史、精神、宗教
それ以外にも数多くの要因が関わっているだけに
それを頭の中で整理をしながらの勉強です
なお熊野古道センター
伊勢から那智を結ぶラインで知りたいことがあったら
ぜひとも訪れてください
なお中辺路に関しては
世界遺産センターや滝尻の古道館の方がいいです
おっとっと
前置きが長くなりましたが
4月29日!!!
もう二週間経っちまった!!!
スタートです
前回は激細路地で終了しましたこの日記

たぶんこの路地
原付専用の道路かと思いますが
スレ違いはまず困難だと思います
そんな路地があっちこっちの町

和歌山県御坊市寺内町におじゃましました
そんな寺内町との初めての出会いは
はじめてみはるに行った時のこと

みはるを出て南部方面へと行くところが
国道42号線が事故で通行止めで
西御坊の駅を通り抜ける道へと行かざるを得なかったわけです

その時にいい感じに渋いなあと思ったのですが
それが寺内町だったわけです

それ以来、なかなか行くことも出来ず
去年の夏があの状態だっただけに
念願かなっての歩き行脚です

ちなみに寺内町の始まりは
鷺森の有力な後援者佐竹伊賀守の尽力で
文禄4年(1595年)薗浦と島浦の荒地四町を得、
日高別院を建立したのがはじまりです

またその前身となったのは
古寺内にあったとされる薗坊舎です

江戸時代に入ると
別院は西に向かう比井街道の起点に加え
東に熊野三山参詣道の紀州街道が入る要地として
日高川河口を利用して廻船業が大いに栄え
坊舎付近には多くの軒を並べました

また御坊の町家は大正から昭和30年にかけて多く建てられました

今回は前調べもなく
ただ黙々と歩いただけに
寺内町の名所というのは訪れなかったのですが
歩くだけでもいい町並みであることは確認できます

村ぶろ内で
ひろしさん
二人知っているのですが・・・・・

チャンプさんは
湯浅との比較で申していることがありましたが
さすがに渋いのは湯浅かもしれません
そして観光客の多さも湯浅

でもこうして
行脚して歩いてみると
御坊もいい街じゃんと思ってしまうのです

寺内町探索も終わりを告げる頃に
西御坊駅へと

なにかと小さな鉄道
歴史は比較的新しく昭和6年に開業

区間はわずか2.7km
当時は日本一短い鉄道として名を売りました

話によりますと
さらに煙樹ヶ浜まで延ばして
観光地として開発する構想を立てていたようですが
それは幻となったようです

ちなみに自分が唯一乗ったのは
去年の夏

熊野古道行脚
道を間違えて御坊駅へ
足の状態もあって
ズルしてしまいました

気動車のなんとも言えない味わいが
情景を感じさせてくれます
なお紀勢本線は新宮までは電車ですが
そこから熊野市・松坂方面は気動車となります
絶好の車窓のスポットは
熊野市から〜尾鷲市の入江の風景です
とまたまた話が横道にそれたところで
今回の熊野古道行脚というより
寺内町行脚は終了

明日の記事
みはるのホニャララカレーの話へと続いていきます
あっ
もういっちょのヤル気のない
旅の写真ブログ
マイペースに頑張ることに・・・・・・
ボスママさんごめんなさいあたしか
テーマ:紀伊半島の旅話し
2012年05月13日 00時37分
土曜は天候に恵まれた
そんな行楽日和の一日
紀勢本線に揺られていた
車窓を見ると
洗車後の車を拭く光景
絶好の洗車日和だ
カローラルミオンという車であろうか
すごく光り輝いていた
その光り輝く車に会いたくなったわけではないが
列車からホームに降り立つ

三重県熊野市にある新鹿という駅だ

無人駅である

駅を出てふらり歩くことにした

オークワの看板が渋い

新鹿を歩くのはちょうど一年ぶりだ

その時は町の大きな祭りが開かれていた

あれから一年か
時の経つ早さを実感してしまう

一年前は国道沿いばかり歩いて
写真取材していたのだが

今回は路地裏撮影に終始した

しかし時はあっという間に経つもので
もうそろそろ気車の時間だ

早足で駅に戻ることにする

かつては有人駅であったのだろうか

熊野古道の近くの駅でもある

短い時間ではあったが
新鹿の時間は堪能できたと思う・・・・・

そして再び
気車に乗る
ふたたび、さきほどの洗車風景を目にする
さきほどのカローラルミオンは
さらに漆黒の渋さを醸し出していた
柴犬らしき白のステッカーが秀逸だ
そんな行楽日和の一日
紀勢本線に揺られていた
車窓を見ると
洗車後の車を拭く光景
絶好の洗車日和だ
カローラルミオンという車であろうか
すごく光り輝いていた
その光り輝く車に会いたくなったわけではないが
列車からホームに降り立つ

三重県熊野市にある新鹿という駅だ

無人駅である

駅を出てふらり歩くことにした

オークワの看板が渋い

新鹿を歩くのはちょうど一年ぶりだ

その時は町の大きな祭りが開かれていた

あれから一年か
時の経つ早さを実感してしまう

一年前は国道沿いばかり歩いて
写真取材していたのだが

今回は路地裏撮影に終始した

しかし時はあっという間に経つもので
もうそろそろ気車の時間だ

早足で駅に戻ることにする

かつては有人駅であったのだろうか

熊野古道の近くの駅でもある

短い時間ではあったが
新鹿の時間は堪能できたと思う・・・・・

そして再び
気車に乗る
ふたたび、さきほどの洗車風景を目にする
さきほどのカローラルミオンは
さらに漆黒の渋さを醸し出していた
柴犬らしき白のステッカーが秀逸だ
こんにちは さようなら
テーマ:リアルタイム行脚
2012年05月12日 17時05分

すこしよりみち
わたしはあいち(あつみはんとう)にかえります
かろーらるみおんぴっかぴか
ぱぱさんおつかれさまでした



