花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
テーマ:花景色
2010年03月13日 20時23分
タイトルは100文字まで書けるそうなので、今日は思い切り長いのにしてみました。
小野小町です。
さすがに著作権は切れてるよな。
著作権協会から文句来ないよね。
歌の意味はググってください。
花とは桜、ながめは長雨に掛っています。
特に今日のブログの内容とは関係ありません。
ほんとに、まったく。
リナリアが咲いてきました。


もう少しで華麗なはなの小道になります。
クリスマスローズもいい感じになってきました。



ああ、ピントがずれている。
老眼だからだな。

庭の片隅でひとり生えのオキザリスが群生しています。
年々広まっていく。

そのうち裏庭はオキザリス畑になるな。
最後に、顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔・・・を、観ていただきましょう。

そんなに見つめないで。
ごめんなさい
テーマ:ブログ
2010年03月12日 20時59分
「ごめんなさい」という言葉は不思議だ。
先日こんな体験をした。
WAYというツタヤグループのレンタルショップでDVDを旧作3本借りて、一週間後に返し忘れて、返却が一日延滞してしまった。
当然のこと気づいたのであわてて返しに行った。
店頭での店員との会話。
「旧作3本、延滞ですね。一日200円となりますので合計で600円となります。」
「はい」といって、千円札を一枚差し出した。
するとこういう応えが返ってきた。
「ごめんなさい、千円お預かりいたします。」
彼女は(店員は女性でした)、なぜ誤るのだろう。
わたしは延滞料金というのを承知でレンタルしたのだし、ましてや期限までに返却しなかったのはわたし自身の落ち度だ。
彼女にはなんら責はない。
それでもどこか心苦しいのであろう。
分からぬでもない。
今、WAYでは旧作はすべて1本¥100/週なのだ。
それが一日遅れただけで延滞金を¥200も取られる。
この部分に何か承服できかねるわだかまりが発生するのです。
その表出が、「ごめんなさい」なのである。
「申し訳ありません」も同じたぐいの言葉である。
「申し訳ありません。そのような商品はお取り扱いしておりません。」
「申し訳ありません。このようなサービスは実施しておりません。」
「申し訳ありません。本日は販売を終了させていただきました。」
そう、世界は「ごめんなさい」と「申し訳ありません」に満ちている。
何故こうなったのだろう。
それは業態の呼称にあらわれている。
この種の職業を「サービス業」というのだ。
お客様にサービスを売ることで成り立っている職業なのだ。
だから、サービスが出来ないときとか、商品と価格に適切な関係が無い場合、売り手は恐縮してしまう。
名前を変えるべきだな。
「貨幣流通業」とかに。
たくさんお金を流通させることが目的になる。
暴利をむさぼることが目的となる業態。
お金がどんどん回って、日本経済も復活だ。
ブリジストン総理、いかがでしょうか?
ヒトと機械の対話 人工知能を考える
テーマ:ブログ
2010年03月10日 21時27分
21世紀に達しても人類にとって達成できていない目標は多い。
例えば、タイムマシン、不老不死、人工知能等実現のめどは立っていない。
不老不死について言えば、まだ道のりは遠い。
わたしが若かったころサイバーパンクというSFの分野がはやったのだが、それは脳に直接チップを差し込むようなイメージだった。
医学が発達してすべての病気を克服したとして、ヒトの体は乗り物に変わるだろうか。
病気は克服できたとして、怪我や事故で命をなくすことも考えられる。
いっそうの事、意識自体をチップに埋め込んでしまおうか。
体の呪縛からは開放される。
そうしたとき、その存在自体は、わたし/あなたでありうるのであろうか。
同じようなことが人工知能にもいえる。
過去に国策で人工知能の開発を推進したことがある。
多額の開発費を投じたが、結果は惨敗に終わった。
ヒトと会話する人工知能の開発は完全な失敗に終わったのだ。
わたしたちが普段会話に使っている日本語とか英語とかは自然言語と呼ばれる。
どのようにして自然言語が成り立ったのかは分かっていない。
ノーム・チョムスキーは「生成文法」という概念を唱えていたが、これも本当かどうかは分からない。
反証不可能な概念なのだ。
これに対して人工知能が備えている言語はプログラミング言語だ。
こちらは自然言語に対して、人工言語と呼ばれる。
ヒトが作った言語だ。
このような自然言語を人工言語に読み替えるというアルゴリズムを開発するという試みは見事に砕け散った。
ちょっと考えれば当たり前のことである。
自然言語はかなり柔軟なのだ。
「ちょー、それってマジ。うざすぎねぇー。」
という会話が成り立ってしまうのだ。
もちろん人工言語もある程度は融通が利くように作られている。
If文で書いてもいいし、select文で書いてもいい。
それでも最後は0と1の世界に分解されてしまう。
そこには、「マジ」はないし、「うざい」もない。
アトム少年には「マジ」や「うざい」は理解できないのだ。
そういう意味では、最も人工知能に近づいたのは、もしかするとgoogleかもしれない。




